2015.9.23
行ってみたかった港区の自然教育園へ行ってきました。
港区ですが目黒駅から歩いて10分位です。午前中のショートとリップ。汗ばむくらいの陽気でしたが気持ち良かったです^^
ナンバンギセルの花が見れるかな~と思ったのですが、残念ながら、ちょっと遅かったみたいです。
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自然教育園は、大都市「東京」の中心部にあって今なお豊かな自然が残る、都会の中のオアシスともいえる貴重な森林緑地です。
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園内の植物には種名表示板や解説板が整備されており、自然を深く知ることができるように工夫されています。
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園内にはコナラ・ケヤキ・ミズキなどの落葉樹、スダジイ・カシ類・マツ類などの常緑樹が広がり、ススキやヨシの草はら、池や小川などが
あります。このような自然を活かした植物園が整備されており、四季にわたって様々な草花や、昆虫などの生きものを身近に観察できます。
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イヌショウマ
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ヤマホトトギス
何度見ても、和風な色合いと変わった形状が魅力ですね^^
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カリガネソウ
別名「帆掛草(ホカケソウ」 シソ科です。
いや~、初めて見ましたが、可愛い花ですねー。
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ハグロソウ
こちらは8月に行った埼玉の「かなさな神社」でも見ましたね。
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ゲンノショウコ
フウロソウ属ですね。フウロソウ属だけで420種も確認されているそうな・・・。
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キバナアキギリ
こちらもシソ科です。シソ科は秋に咲く花が多いのかなと思ったけど、そうでもないみたい。。。4~10月となると冬場以外ってことか?(笑
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テンニンソウ
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トラノオスズカケ
絶滅危惧種です。
ここ自然教育園のトラノオスズカケは1932(昭和7)に牧野富太郎博士が発見した。しかし戦後には絶滅したと思われていた。
それがなんと2007年に芽生えが確認され、翌年に開花したそうです。
自然教育園は高松藩主松平家の下屋敷跡で、トラノオスズカケは同市出身の偉人・平賀源内(1728~79年)が香川から持ち込んだ
のではないかとされております。
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キンミズヒキ
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大好きな「フリツネソウ」がたくさん咲いていました^^
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シロバナサクラタデ
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キセルアザミ
アザミは日本でも100種類以上あるそうですよ。
★自然教育園
●自然教育園を含む白金台地は、洪積世(20~50万年前)海食によって作られました。
●いつ頃から人が住み着いたかは不明ですが、園内から縄文中期(紀元前約2500年)の土器や貝塚が発見されていることから、
この時代には人々が住んでいたと考えられます。
●平安時代には目黒川、渋谷川の低湿地では水田が開墾され、台地の広々とした原野には染料として欠かせなかったムラサキの
栽培も広範囲に行われていたと考えられています。
●室町時代に入ると、この地方にいた豪族がこの地に館を構え、今に残る土塁は当時の遺跡の一部と考えられています。この館の主が
誰かは不明ですが、白金の地名は永禄2年(1559)の記録に初めてあらわれ、太田道灌のひ孫の新六郎がこの地を治めていたこと
が記録されています。また、いわゆる「白金長者」であったという言い伝えも残っています。
●江戸時代になると、増上寺の管理下に入りましたが、寛文4年(1664)には、徳川光圀の兄にあたる高松藩主松平讃岐守頼重の
下屋敷となり、園内にある物語の松やおろちの松などの老木は、当時の庭園の名残であろうと思われます。
●明治時代には火薬庫となり、海軍省・陸軍省の管理となり、大正6年(1917)宮内省帝室林野局の所管となり、白金御料地と呼ばれ
ました。
●その後、昭和24年文部省の所管となり、「天然記念物及び史跡」に指定され、国立自然教育園として広く一般に公開され、昭和37年
国立科学博物館附属自然教育園として現在に至っています。
http://www.ins.kahaku.go.jp/index.php より