2018.3 またまた埼玉の神社を訪れました。出雲乃伊波比神社、小被神社へ詣でた後、四津山神社へ向かいました。
参道入り口
一の鳥居
神社は山の上にありそうです。
「四津山神社再建記念碑」から抜粋
・秀峰四ツ山山頂に鎮座する四津山神社は、火遇突智命を始め十七神を祭神とし、御神体は勝軍地蔵なり。古来より火防の神
としてその信仰厚く信者は関八州に及ぶ。
・四ツ山はかつて鎌倉街道上道を押さうる軍事上の要所にして、戦国の世には城築かれ、長享二年(1488)の高見原合戦を始め
数度にわたり戦場となる。
・天正十八年(1590)豊臣秀吉関東平定の際近隣諸城とともに、城としての役割を終え徳川家康の関東入国によりて泰平の世となる。
・宝暦九年(1759)山麓の古刹真言宗高見山明王寺第七世住職権大僧都法印祐慶師の代に古来より境内に祀られし寺の氏神
愛宕神社を三月二十四日山頂に遷座す。以来重誉師を始め時の住職は御神体を奉じて登頂し神事を執行せられたといえり。
・明治の世となりて、三十九年(1906)神社寺院仏堂合併跡地譲与に関する勅令により、翌四十年四月三十日山麓高見の村社邊取神社
及び能増の村社八幡神社を始め小社十一社を合祀し、山容地名に因み四津山神社と改称す。
灯籠を抜け・・・
階段を上ると・・・
不動明王と大黒天
不動明王は享和三癸亥年(1803)三月二十四日の造立。
さらに階段を上ります。
登り切ると拝殿が見えてきました。
良い眺めです!
東武東上本線小川町駅の約3.5km北方、比企丘陵最北部の丘陵部・四津山(標高197m、比高100m)に築かれた山城である。
山頂部全体を城郭化しており、南北約174m・東西54mに広がる。北から三ノ郭・ニノ郭・本丸が並ぶ。本丸は山稜最高部であり、
現在は四津山神社が建っている。北側が搦手口、南側が大手口とみられる。by wikipedia
カンヒザクラでしょうか。綺麗です。
拝殿
・四ツ山城跡は、周囲から一際高くそそり立つ山頂に立地し、北は荒川流域一帯、南は市野川流域を一望できる要害の地に
築かれています。
・市野川筋にはいわゆる鎌倉街道上道が走り、戦国時代には鉢形城(寄居町)と松山城(吉見町)の間にあって、交通路を
押さえる重要な役割を果たしていたと考えられます。
・城跡は細長い尾根を巧みに利用し、四津山神社の建つ本廓と北に連なる三つの主要な廓によって構成され、それぞれ土塁
と堀切によって画されています。
・文明十二年(1480)の太田道灌書状写に「高見」「高見在陣衆」とあることから、このころに城が整備された可能性があり
ます。長享二年(1488)に山内・扇谷両上杉氏の対立により激戦が繰り広げられた高見山合戦は、この麓の高見・今市付近
で行われたと考えられています。
・また、江戸時代に編纂された「新編武蔵風土記稿」は、長享元年に没した増田四郎重富の居城と伝えています。「関八州
古戦録」によると、天正十八年(1590)の豊臣秀吉による関東平定の際に鉢形城主北条氏邦の家人が籠ったものの、戦わず
して鉢形城へ逃げたといいます。 看板より
雪が残っていますね。
登ってきた階段上より。
いや~低山ですが四方眺めが良くてビックリしました。お城になるわけですね。ちょっとしたハイキングになりましたよ^^