2018.2 狭山神社参拝の後、すぐ近くの「高木神社」へ詣でました。
道路拡張などで動かされたらしき境内入口の「馬頭観音、供養碑、庚申塔の碑」
境内入口正面
鳥居
境内の獅子舞像 なかなか個性的な像ですねー。
高木の獅子舞いは江戸時代より、毎年九月十九日の高木神社の祭礼に奉納されました。昔、悪疫が流行したとき、その退散
を祈願して踊られたのが始まりと伝えられています。獅子舞の行列は、高木神社隣、昔の明楽寺跡の社務所で支度をととの
え、村役の先導にて練り歩き、神社前庭に進んだのです。杉の大木の繁る境内で、笛の音や、歌に合わせ演ずる獅子舞は
勇壮なものでした。東大和市hpより
拝殿
祭神:伊弉諾尊、伊弉冉尊
高木神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には尉殿権現社と称していたといい、明治13年高木神社と改称したといいます。
https://tesshow.jp/tama/eyamatommurayama/shrine_takagi_takagi.html より。
「山神」さんの石碑
どうして「山神」の石碑なのでしょう。そして屋根まで付けられて大切にされているのでしょう?
ググってみましたが良く分かりませんでしたが、「山神」については、
「通称ヤマノカミ、女性神で、一年に十二人の子を産み、マタギとか山仕事をする人に信仰されていた」との事。
http://www.town.wakuya.miyagi.jp/sangyo/kanko/mesho/rensai/h2806yamanokami.htmlより
境内社の塩竃神社も安産の神さまですから、安産祈願にはとても良さそうですね^^
本殿と境内社
本殿脇の境内社の塩竈神社
塩竈神社 拝殿
かつては、個人宅の屋敷神として祀られていましたが、明治10年に現在の場所に移され、今の塩釜神社となったそうです。
隣接する公園。地域の憩いの場所という感じですね~。公園にはこんな看板が・・・
明治十七年、町村制度の大改正が行なわれ、それまでの數ヶ村を一区域とする行政区画が定められ、官選の戸長がこれを
管轄し旧高木、清水、狭山、奈良橋、蔵敷、芋窪の六ヶ村を管轄する事務をとった。
旧六ヶ村をまとめて一区域とすることにより、ほぼ現在の東大和市域が形づくられたと言ってよい。今は当時の建物も
大部分は失われたが、東大和市の原形をつくりあげた最初の役所跡として、歴史的に重要な遺跡である。
(東大和市教育委員会掲示より)
神社東側の明楽寺跡地とお地蔵さん群
高木神社は、南側斜面の開けた一体に鎮座しておりました。ここも柔らかな空気・空間に包まれた場所でしたよ。