2018.2 東大和市奈良橋にある八幡神社に参拝しました。
神社の入り口を通り過ぎ、東大和狭山緑地の駐車場に車を入れました。
神社入り口
階段を登りきると一の鳥居
一の鳥居手前に「御嶽神社」「大六大社」の祠がありました。大六大社ってあまり聞いたことがないなあと思って調べましたよ。
大六大社
第六天神社(だいろくてんじんしゃ)は、関東地方(旧武蔵国)を中心としてその周辺に存在する神社。なお、神社によっては
第六天を「大六天」と表記する場合もある。
元々は神仏習合の時代に第六天魔王(他化自在天)を祀る神社として創建されたものであるが、明治の神仏分離の際、多くの
第六天神社がその社名から神世七代における第六代のオモダル・アヤカシコネ(面足命・惶根命)に祭神を変更した。
第六天神社が所在する分布にも大きな特徴があり、東日本において関東の旧武蔵国を中心に旧相模国、旧伊豆国などに存在するが、
西日本では皆無となっている。これは戦国時代の覇者である織田信長が篤く信奉していたとされることから、天下統一の跡を
継いだ豊臣秀吉が第六天の神威を恐れ、拠点としていた西日本の第六天神社を尽く廃社したためという。by wikipedia
一の鳥居をくぐると真っすぐに参道が伸びています。左は社務所。
参道脇には大きな大和八幡幼稚園。いや~子どもたちが賑やかでしたよ~。こんな空気・空間の神社も賑やかで
良いですね。
二の鳥居手前には「武内神社」と「神明社」がありました。
宇佐神宮大鳥居の近くに鎮座する黒男神社のご祭神も、「武内宿禰」でしたね。
二の鳥居
拝殿
神社は子どもたちの遊び場にもなっていましたよ^^
祭神 誉田別之命
当社は創立年暦不詳、太古より鎮守と公称しきて、何神と言うことはわからない。
宮がこわれようとする頃、いつの戦か、武士がにげて来て、此の森に露営しようと、四方を見ると、くらい中より宮のある
のがわかり、宮の中にねむると、その人に告げるに神の夢に「吾は八幡の神なり」当社によく宿ってくれた、宮が破損
しようとしているので村人に建替ることを知らせて欲しいと言った。夢さめて翌朝地領に行き、其の理由を告げる。
天正三年(一五七五)十一月、領主石川太郎右衛門氏の寄付により、社殿が再興され、其の後百十四年を経て、元禄二年
(一六八九)九月旧領主石川太郎右衛門並岸隼人の尽力に依り拝殿が建てられ、其の後昭和七年に本殿幣殿拝殿が改築された。
(北多摩神道青年会掲示板より)
本殿
本殿の裏に回ると・・・
「浅間神社」もありました。
倒れたご神木の根が屋根付で大切に保存されていました。
たくさんの子どもたちと親御さんの中を縫って参拝しました。拝殿の前では子どもたちが走り回り、まるで自分だけが、
違うパラレルワールドの中にいるかのようでした。それでもとても暖かい空気・空間を感じました。後に調べると、
この一帯には縄文時代中期の八幡谷戸遺跡があったようです。南に開けたよても良い場所で太古の昔から人が住みついて
いたようです。