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Channel: ~風に吹かれて~ by ポー(paw)
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京都5(賀茂御祖神社(下賀茂神社))

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2017.8.26~27 京都・神戸へ行きました。

貴船から出町柳駅へ着いて、このまま神戸へ行っても良かったのですが、なんか未だ元気の「気」が漲っている。というわけ
で、地図を見たら下鴨神社が割と近いので参ってきました。鴨川デルタというのもなんか良い空気が流れていそうで・・・。

高野川に架かる橋

高野川から上流方面

鴨川デルタは風致地区になっていました。

鴨川 上流方面

その後、鴨川沿いに歩いたために下鴨神社の正面参道を超えてしまいました^^; 帰りは参道を南下して駅まで行きました。
御蔭道を通って下鴨神社の正面へ。

表参道

ここには鳥居がありませんでした。

式年遷宮の立札が見えますが、平安時代中期以降、21年毎に御神体を除く全ての建物を新しくする式年遷宮を行っていたが、
本殿2棟が国宝に指定されたため、現在は一部を修復するのみのようです。

う~む・・・存在感のある巨樹だ・・・。

糺の森(ただすのもり)(賀茂川と高野川の合流地点に発達した原生林(下鴨神社の境内に広がる原生林))
の祭祀遺構。調査の結果、発掘された水路、溝内にはおおよそ平安時代、鎌倉時代、近代(明治時代以後)の3時代にわたる
堆積物が累層していたようです。

南口鳥居

手水舎

神話に基づく舟形の磐座石で、御神水を注いでいる樋は、糺の森の主と呼ばれた樹齢600年のケヤキだそうです。
覆屋は、崇神天皇7年、糺の森神地に瑞籬(みずがき)の造替を賜った記録をもとに再現した透塀。 この御手洗は、
「糺」(ただす)の語源という説のある「直澄」(ただす)と名付けられています。

盆踊りの準備^^

楼門

楼門をくぐると正面に「舞殿」

舞殿脇より楼門方向。結婚式されていました。

中門

中門内の東本殿。奥が西本殿。手前に干支ごとの祠が並んでいました。本殿内は撮影禁止。
さすがに人が多く、人を避けて撮るのが得意なpawでもムリ(笑)ぼかしを入れましたよ。

私も中に入り説明を聞いてきました。本殿の左側になりますね。

西参道鳥居

西参道

いや~、重厚というか深い歴史を感じさせる空気・空間でした。15~16時の一時間くらいしか居なかったので、
なんだかフワっとした感覚で現実味がなかったというか・・・そもそも歴史が古すぎて蓄積もスゴイから、相当時間をかけて
参らないと実感がえられないのかもしれませんね。こちらも人の少ない時間帯を狙うとしたら早朝だろうなあ。

 

賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)
京都市左京区にある神社。通称は下鴨神社(しもがもじんじゃ)。
式内社(名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
ユネスコの世界遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録されている。

賀茂別雷神社(上賀茂神社)とともに賀茂氏(速須佐之男命の11世の孫の大鴨積命を祖とする出雲国の古代の氏族とされる)
の氏神を祀る神社であり、両社は賀茂神社(賀茂社)と総称される。両社で催す賀茂祭(通称 葵祭)で有名。
本殿には、右に賀茂別雷命(上賀茂神社祭神)の母の玉依姫命、左に玉依姫命の父の賀茂建角身命を祀るため
「賀茂御祖神社」と呼ばれる。

京都の社寺では最も古い部類に入る。(それ以前の古い時代からまつられていたと思われる糺の森周辺の発掘調査で縄文
時代の土器や弥生時代の住居跡がたくさん発掘されている)社伝では、神武天皇の御代に御蔭山に祭神が降臨したという。
また、崇神天皇7年に神社の瑞垣の修造の記録があるため、この頃の創建とする説がある。一説には、天平の頃に上賀茂神社
から分置されたともされる。by wikipedia

表参道を戻ります。両側がマンション・・・・^^;

ここが参道出発点の鳥居です。

いや~、良く動き回りました。その後、出町柳駅から京阪本線の七条駅で降り、トボトボ歩いて京都駅へ。八条西口の
コインロッカーで荷物を出して神戸へと向かったのでした。JRの快速で1時間くらいだったですね。電車が遅れていて、
乗った時は満員状態でしたが、たまたま私の立っていた脇の席の方が次の駅(高槻??)で降りたのでラッキーでしたー。


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