2017.7.28~30、白馬へ行ってきました。
ちょ~っと天気が残念でしたが、たくさんの種類の花が見れて、ライチョウやオコジョにも逢えて楽しめました。
しばらく白馬関連投稿が続きます。
白馬村八方の「まるいし」宿泊翌朝、直ぐ近くの諏訪神社へ参拝に行きました。
●古代の白馬村
・約6000年ほど昔、縄文時代前期末に、白馬岳に産出する滑石が各地に運ばれて、当時盛行した人々が身体を玉類で
装飾する習俗の源となった。また白馬岳周辺の蛇紋岩が広く石斧の材料として使用された。
・弥生時代以降、村南部の湿地帯を取りまく段丘上に米作りの集落群が起こり、古墳時代に入るとそれらの集落の
支配者たちがこぞって墳墓を築いたために、現在においても有数の古墳地帯となっている。
・また、ここは姫川により糸魚川と通じ、白馬山塊に産するヒスイが縄文時代から古墳時代までこの谷から運ばれて
いった。後年千国道と呼ばれる街道は遥かな縄文時代にその姿を現し始めていた。
http://www.vill.hakuba.lg.jp/somu/introduction/history.htmlより
なんと、蛇紋岩で石斧が作られていたんですねー。白馬のヒスイが姫川を通じて、あの有名な「糸魚川の翡翠」と
なっていたとは・・・。
神社の裏手にこんな「縄文時代の竪穴住居跡」がありました。
参道入り口
早朝にも関わらず、観光バスが止まっていて、境内では、数名に対して説明が行われていました。
霜降宮細野諏訪神社
・白馬界隈には「霜降宮細野諏訪神社」「雨降宮嶺方諏訪神社(白馬みねかたスキー場横/旧嶺方村の産土神)」
「霧降宮切久保諏訪神社(白馬岩岳スキー場の横/千国庄の鎮守)」と「霜」、「雨」、「霧」といういわく
ありげな3社の諏訪神社が鎮座している。
・そのうち、日本の民宿の発祥の地である白馬・八方に建つのが霜降宮細野諏訪神社。樹齢1000年と推測される
御神木の杉が印象的。
・秋の例大祭は、蛇紋岩で作られた神輿に八方温泉のお湯をかけながら区内を練り歩く「湯かけ岩神輿行列」。
・かつて白馬岳を目ざした登山家は、山案内人の住む細野(八方)に宿を取り、細野諏訪神社で安全を祈願してから
山に入ったという。
・白馬を流れる姫川の姫は、古代の高志国(越国=越後・越中・能登・加賀・越前の5国)の女王だった沼河比売
(ぬなかわひめ、奴奈川姫)に由来。
・糸魚川市などに残る伝承では、出雲国の大国主が沼河比売に求婚。2人の間に生まれた子が建御名方神で、姫川を
溯って諏訪に入り、諏訪大社の祭神になったという。
・創建は定かでないが平安時代の荘園・四ヶ庄(しかじょう)の鎮守とも推測されている。
http://tabi-magazine.com/spot/?eid=4430 より。
この日は、神社参拝の後、姫川の減流域へ行きました。後ほど投稿します。その姫様の子が諏訪大社の祭神になっている
とは・・・。
諏訪大社の後に、こちらの氏神様の神社が諏訪神社となり伝承ができあがったのかもしれませんが、いずれにしても、
この細野諏訪神社を取り巻く気は、この地の神様であり、この神社を中心として村落が出来上がっていると感じました。
境内右には遊具が^^ 地元に溶け込んでいますね。
二つ目の鳥居の手前に屋根がありました。手水舎の手前だから、豪雪時の雪除け屋根なのかなあ。
二つ目の鳥居
鳥居をくぐると、拝殿前の階段脇に巨大な物体が・・・。
巨木というよりも巨大な物体に見えましたよ。スゴイです!
大杉の幹の下方が異様に太いのです。
大杉に触れると、樹液が手に付きました。良い香りです。しかし、スゴイ粘り気で、なかなか取れませんでした。
とにかく大きいです。圧倒されます。樹齢千年となっていますが、とにかく元気でスゴイ生命力を感じました。
案内板によれば、治承元年(1177)に、当地の八田弥五兵衛なる人物が献木したものだとあり、真実ならば、樹齢は
840年ということになりますね。
拝殿
本殿
いや~、生命力溢れる大杉の御神木の鎮座する素晴らしい神社でした。