いや〜、三浦 雄一郎さん、スゴイですよね〜。
去年だったか、ラジオ番組にゲスト出演されていて、釘付けで聴いたのをよく覚えています。世界七大陸最高峰全峰からの滑降を
成功させてからは、先生、先生と持ち上げられ、あちこちの講演会つづきで、食生活が乱れ、身体がボロボロになってしまった。
お医者さんに診てもらったら、そう長生きできない、くらい言われたそうです。65歳のときに、5年後の70歳でのエベレストを目標に
立てた頃も、高尾山?で、おばさんにどんどん抜かれていくわ・・・酷い状態だったそうですよ。
「人間、やればできる」「人は、80歳でもエベレストに登れる肉体能力がある」
まさに行動で示されましたね。私の義父(84歳)も、スゴイスゴイと、物凄いパワーとエネルギーと生命力と勇気をもらったようです。
わたし自身も、こんなスゴイ事をしようとは、ほんの欠片も思いませんが、物凄いパワーとエネルギーと生命力と勇気はしっかりと
頂きました。
「運」や「縁」や「天」も味方につけての偉業だと思いますが、それだって天上界から選ばれ、人様に勇気を与える仕事を授かって
この世に降り立った方なのでしょう。
さて、ただただ三浦さんから、直線的にエネルギーを受け取った方もいるでしょうけれど、二元的に、次元が違う、私とは比べ物に
ならない、私と三浦さんとは違いすぎると、思われる方もいるかもしれません。しかし、それは「偉業」や「超人(スーパーマン)的」側面
からの捉え方であり、受け取るべきエネルギーの側面は、「生きざま」「己を知る」「運動肉体管理」なのだと思います。確固たる自分
自身の人生哲学を持ち、自分がこの世で生きる意味を知ること・・・・それが「生き込む」ことなのでしょう。
↓wikiより要約してみました。
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三浦 雄一郎(1932年10月12日生)
●青森県青森市生まれのプロスキーヤー及び登山家。
●クラーク記念国際高等学校校長、全国森林レクリエーション協会会長。
●父の三浦敬三(2006年、101歳で死去)も山岳スキーヤーで、長男の三浦雄大は競技スキーヤー、二男の三浦豪太はリレハンメル
オリンピック・長野オリンピック出場したフリースタイルスキー・モーグル選手。
●幼少期は病弱で劣等生、幼稚園は中退、小学校4年生から5年生時には結核で肋膜炎を患い長期入院のため一年の半分近くは学校
に通えなかったほどだったという。
●初めてスキーに接したのは小学校2年時、当時住んでいた弘前市の弘前城公園の坂をスキーで滑ったのがきっかけ。旧制青森中学
校在学時に岩木山で開かれたスキー大会で優勝し初タイトルを獲得する。
●1960年代始め頃からスキー学校を開設し、1962年、アメリカ合衆国でスタートしたばかりの世界プロスキー選手権に参加、トニー・
ザイラーら冬季オリンピックの元メダリストも名を連ねる大会で世界ランク8位となるなど、 プロスキーヤーとして活躍。
●1964年7月イタリアで開催されたキロメーターランセに日本人で初めて参加、時速172.084キロの当時世界新記録を樹立。
●1966年4月、富士山での直滑降を成功させる。この時にブレーキとして使用したパラシュートが、パラグライダーが作られるきっかけ
となったという。
●1970年5月にはエベレストのサウスコル8000m地点からの滑降(ギネスブックに掲載)を成功させる。
●54歳で南アメリカ大陸最高峰アコンカグアからの滑降を成功させたことにより、世界七大陸最高峰全峰からの滑降を成功させた。
●しかしその後目標を失い、不摂生な生活を送った挙句、身長164 cmに対し体重85 kg超、血圧は200近くまで上がり、不整脈まで
出る不健康な状態となってしまう。
●99歳にしてなおモンブラン氷河の滑降という挑戦を続ける実父や、オリンピックに出場した次男の豪太らを見て改心。
●65歳の時に、5年後の70歳でエベレスト登頂を果たすという目標を立て、外出時には常に両足に重りを付け20 kg近いリュックを常
に背負うというトレーニングを再開、当初は藻岩山登山ですら息切れするという体たらくだった体力を回復させる。
●2003年5月22日、世界最高峰のエベレストに世界最高齢(ギネスブックに掲載)となる70歳7か月での登頂を果たす。同時に二男・
豪太との日本人初の親子同時登頂も遂げた。
●2008年5月26日、75歳(世界歴代2位)でエベレストに再登頂。
●2013年5月23日、3度目のエベレスト登頂に成功した。エベレスト登頂の歴史で最高齢登頂者となる。