2018.3 埼玉北東部の神社を訪れました。「調神社」「久伊豆神社」参拝後、鷲宮神社へ向かいました。
武蔵国鷲宮神社 社号標 大正時代まで一の鳥居が建っていたそうです。
二の鳥居(現在は一の鳥居)
参道南側には大きな駐車場があります。
調神社でウサギ、久伊豆神社でカメ、ここではネコちゃん^^ お酉さまでもあるからニワトリさんも居ましたよ。
・社伝によれば、出雲族の草創に係わる関東最古の大社とされ、かつては「鷲宮大明神」、「浮島大明神」、「大酉元祖」
とも称された。
・神代の昔、天穂日命と御子神の武夷鳥命が東国を経営するために武蔵国に到着し、お供の昌彦・昌武の父子と出雲族27人
の部族、そして地元の部族と共に当地の鎮守として大己貴命を祀ったのに始まると伝える。これが、現在の別宮である
神崎神社であった。
・その後、日本武尊の東国平定の際に戦勝祈願を行い、別宮を建てて天穂日命と武夷鳥命を祀ったという。この別宮が
現在の本殿である鷲宮神社とされる。ただし、これらのことは『延喜式神名帳』や『国史』に記載がない。
・歴史別名を土師の宮(はにしのみや)とも言われ、一説には崇神天皇の時代に河内国から東国へ移住した土師氏が
下総国浅草から利根川を上って当地に移住した際に先祖を祀ったのが起源ではないかと言われている。そして、
「はにしのみや」がいつしか訛って、現在の「わしのみや」になったとされる。
・鷲宮神社は「関東最古の大社」を名乗っているものの、歴史資料に現れるのは『吾妻鏡』の建長3年(1251年)の
記載が最初であり、この主張は根拠を欠いている。ただし、発掘調査によって縄文時代の遺跡が見つかっており、
古くから住民がいたことはわかっている。by wikipedia
関東における大鳥信仰の総本社格とされる事もあり「お酉様の本社」とも云われる。
近年はアニメ『らき☆すた』の舞台としても有名で、アニメでの聖地巡礼の先駆け的な神社としても知られる。
参道 桜並木・・・開花していましたが満開時はもっと綺麗だったでしょうね。
金灯籠
文政12年(1829)に氏子などによって建立された青銅製。
基礎(きそ)の上段から下段にかけては、寄附者の村名と氏名、金額が刻まれていますが、現在の久喜市とその周辺市町域の
ほか、小川町や飯能市など、74か村377名の氏子と世話人40名が確認でき、鷲宮神社への信仰が広範な地域にわたっていた
ことがわかります。
基礎の下段には、雌雄の鶏が交互に並び、愛らしく美しいその姿から、当時の江戸の職人の技の高さが推し量れます。この鶏
の装飾ですが、鷲宮神社が「お酉様(とりさま)の本社」と伝えられることにちなんだものとの説もあります。(久喜市hpより)
近くには「鷲宮掘内遺跡」の石碑も建てられていて、縄文時代から人々の定住があった古い地であったようですよ。
光天之池と呼ばれる神池。
神池の向かいには「久伊豆神社」
参道途中の神輿庫、八坂神社、八坂神輿殿。
関東のお酉様の本社であることから境内に鳥小屋もありました。
拝殿
拝殿
●主祭神三柱
・鷲宮神社本殿:天穂日命(アメノホヒノミコト)武夷鳥命(タケヒナトリノミコト)
・神崎神社本殿大己貴命(オホナムヂノミコト)
●合祀祭神九柱
・建御名方神(タケミナカタノカミ)
・伊邪那美神(イザナミノカミ)
・大山祇神(オホヤマヅミノカミ)
・宇迦之御魂神(ウガノミタマノカミ)
・大山咋神(オホヤマグヒノカミ)
・天照皇大神(アマテラスオホミカミ)
・迦具土神(カグヅチノカミ)
・素戔嗚尊(スサノオノミコト)
・菅原道真(スガワラノミチザネ)
本殿
本殿
本殿はこのように二つあります。
拝殿の真裏にあるのが「鷲宮神社本殿」で、西側にあるのが「神崎神社本殿」。
社務所と神楽殿
・鷲宮神社で奉演される「鷲宮催馬楽神楽」(正式名称:土師一流催馬楽神楽)は、関東神楽の源流とされている。
・この神楽の始行年代は明らかではないが、鎌倉時代の史書である『吾妻鑑』に、建長3年(1251年)4月に鷲宮神社で
神楽が行われたことが書かれている。しかし、これが現在の鷲宮催馬楽神楽と同一のものかは明らかにされていない。
・この神楽は、一社相伝の社伝神楽で、神楽を奉仕する家柄は代々世襲し、神社より知行として田畑三反歩が与えられていた。
しかし、昭和に入ってから、神楽を行う神楽師が減少し始め、神楽は消える危機に瀕してしまったが、1955年
(神楽の笛の音がNHKラジオの全国放送で流れたのを機に、「鷲宮神社神楽復興会」が組織され、神楽が伝承され、
消滅の危機を何とか乗り越えた。by wikipedia
拝殿向かい神楽殿の右手の「姫宮神社」
「八幡神社」
「鹿島神社」
境内にはたくさんの境内社がありました。ところで拝殿は一つですが、鷲宮神社本殿・神崎神社本殿と二つの本殿が
あります。訪れた時には知らなかったので、どうして本殿が二つあるのだろう?どうしてそれぞれの本殿に拝殿が無いの
だろう?神崎神社へはどう参拝すればよいのだろう?
拝殿側からだと拝殿真裏に鷲宮神社本殿があるため対照的でなく、何となく違和感を感じたのでした。
「当初 祭祀時には両宮を奉っていたらしいが 時代の変遷と政治的な流れで 鷲宮神社本殿と拝殿を繋げて 神崎神社を
別宮とした」との記述のブログも見つけましたが、よく分かりませんでした。