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出雲乃伊波比神社(埼玉県寄居町)

2018.3 またまた埼玉の神社を訪れました。まずは、出雲乃伊波比神社(埼玉県寄居町)。

埼玉県で出雲いわい系の神社は、今までに

・出雲伊波比神社(毛呂山町)・・・延喜式神名帳では入間郡鎮座5社の筆頭

・毛呂神社(鳩山町)・・・ 入間郡毛呂の臥龍山に鎮座する出雲伊波比神社の祭神大己貴命と天之穂日命を勧請

・出雲祝神社(入間市)・・・平安時代編纂の『延喜式』神名帳記載の入間郡「出雲伊波比神社」に比定。

を詣でています。

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立派な鳥居です。

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境内側から 右側は境内社

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これを読むと、延喜式内社・出雲乃伊波比神社と呼ばれるようになったのは明治維新後のようですね。
それまでの直近の400年は「白幡八幡社」、今でも八幡様と呼ばれているようです。

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拝殿

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本殿

出雲乃伊波比神社は埼玉県に熊谷とここ寄居町の二社があるそうです。寄居町のこの社は「延喜式内社・小被神社」に非常に
近く200mくらい、道路一本で結ばれています。延喜式内社がこんなに近くに二社もあるという事は、昔はずいぶんと繁栄していた
のでしょうか。

御祭神:須佐之男命で、三穗津姫命、誉田別命、天児屋根命、天太玉命、天穗日命が配祀され、天照皇大神、軻遇突智命が合祀。

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拝殿脇から 左奥は「妙見社」

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赤浜地区の妙見社は、天正年間(西暦一五七三年~一五九一年)以前の遠い昔より妙見講を組織して、厚く信心して、今日なお
「妙見様」の通称で親しまれていました。近年まで十二月三日の例祭日には、講中の家を順番に祭礼の準備やお祝の宿として
集まり、幟が立ち先達様の祈願が終ると団子を配り、にぎやかな社頭となりました。 諸般の事情により昭和五十年(一九七五年)
三月三日を以って一時中止することになりました。長い年月で社殿の傷みも進み、倒壊寸前となり平成三年(一九九一年)
二月十六日講中一同相談の結果、改築することに決定しました。四月三日仮殿遷座祭を斎行し社殿を解体したところ束木に
「嘉永六年(一八五三年)癸丒孟春(みすのと丑年旧暦正月)奉造立講中為安全也」裏面には「大工 浅次良 又八」の二名が記録
されていました。壁面の横板には「妙見宮殿修繕寄付連名及紀元二千五百五十五年 明治二十八年(一八九五年)と記されていました。
平成三年四月十二日 上棟 六月二日 本殿遷座祭を斎行しました。


中世以降は秩父大宮妙見宮・秩父妙見宮として北辰(北極星)・北斗(七星)の妙見信仰で栄えた。明治の神仏分離により仏教の
「妙見菩薩」をお祀りできなくなったため、同一とみなされる神道の「天之御中主神」をお祀りしている。

妙見(ミョウケン)信仰

一般には仏教でいう北辰妙見菩薩(ホクシンミョウケンボサツ)に対する信仰をいうが、その原姿は、道教における星辰信仰、特に
北極星・北斗七星に対する信仰である。
道教では、北天にあって動かない北極星(北辰ともいう)を宇宙の全てを支配する最高神・天帝(太一神ともいう)として崇め、その
傍らで天帝の乗り物ともされる北斗七星は、天帝からの委託を受けて人々の行状を監視し、その生死禍福を支配するとされた。
この北辰・北斗を神格化したのが『鎮宅霊符神』(チンタクレイフシン)で、それが仏教に入って『北辰妙見菩薩』と変じ、神道では
『天御中主神』(アメノミナカヌシ)と習合したという。
この北辰・北斗信仰がわが国に入ったのは推古天皇のころというが、その真偽は不明。奈良時代に知られていたのは確かである。


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