2018.3.3 日曜日の午前中、思い立ったが吉日!午前中にショートトリップ。神楽坂方面へpaw散歩^^
赤城神社参拝後、神楽坂ある毘沙門天・善国寺へ。
・善国寺は、東京都新宿区神楽坂にある日蓮宗の寺院。
・旧本山は大本山池上本門寺で鎮護山善国寺という。開基は徳川家康、開山は日惺上人と伝わる。
・安土桃山時代の文禄4年(1595年)、池上本門寺第12代貫主である日惺上人により、馬喰町に創建される。たびたび火災に
見舞われ、麹町を経て寛政5年(1793年)には現在地へ移転した。
・本尊の毘沙門天は江戸時代より「神楽坂の毘沙門さま」として信仰を集め、芝正伝寺・浅草正法寺とともに江戸三毘沙門と
呼ばれた。現在は新宿山ノ手七福神の一つに数えられている。by wikipedia
浄行菩薩「身代わり菩薩」
自分の体の悪い所と同じ所をひしゃくで水をかけて洗い、拝むとよくなるご利益があるそうですよん。
毘沙門天
・日本では四天王の一尊として造像安置する場合は「多聞天」、独尊像として造像安置する場合は「毘沙門天」と呼ぶのが
通例である。
・庶民における毘沙門信仰の発祥は平安時代の鞍馬寺である。
・福の神としての毘沙門天は中世を通じて恵比寿・大黒天にならぶ人気を誇るようになる。
・室町時代末期には日本独自の信仰として七福神の一尊とされ、江戸時代以降は特に勝負事に利益ありとして崇められる。
by wikipedia
毘沙門天信仰は京都・鞍馬寺が発祥だったんですね^^
狛犬ならぬ狛虎
毘沙門天が寅年、寅の月、寅の日、寅の刻に生誕されたことから、虎が守りとなっているとの事。
江戸末期の1848年(嘉永元年)に周辺の住民によって寄進。いや~なかなかの迫力ですわ。
神楽坂
毘沙門天様への信仰は時代とともに盛んになり、将軍家、旗本、大名へと広がり、江戸末期、特に文化・文政時代には
庶民の尊崇の的ともなり、江戸の三毘沙門の随一として、《神楽坂毘沙門天》の威光は倍増していった。
当初は殆ど武家屋敷だけであった神楽坂界隈も、善國寺の移転に伴い、麹町より、よしず張りの店が九軒当寺の門前に
移転するなど、除々に民家も増え、明治初期に花街も形成され、華やかな街になっていった。
明治・大正初期には、泉鏡花、尾崎紅葉、北原白秋など多くの文人・墨客達がこの辺りを闊歩し、大いに賑わった。
特に縁日の賑わいは相当なもので、人出のために車馬の往来が困難をきたし、山の手銀座と呼ばれるほど有名を馳せ、
その混雑ぶりはまさに東京の縁日の発祥の地にふさわしいものであった。
https://www.kagurazaka-bishamonten.comより。