2018.1.13 中野区江古田方面の神社へ参拝に行ってきました。10000歩以上歩きましたよ^^
豊玉氷川神社を北上。目的は江古田の浅間神社でしたが、通り道に鳥居を発見。武蔵大学の学生通り抜け禁止の看板が
ありましたよ。近道になるのかな?
一ノ鳥居 鳥居をくぐって線路沿いに進みます。
二ノ鳥居
クランク状に進みます。燈籠が大きいですね。
参道は狭い感じですが神門が実に立派です。狭い参道から、まさかこのような神門のある構えだとは思っていなかったので驚きました。
随神門
いや~立派ですわ。昭和50~55年にかけて拝殿と共に整備されたようですが、なかなか個性的ですね。
祭儀殿
井戸
・御祭神 宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)
・御由緒 当社は古くから多くの善男善女の篤い信仰にささえられて今日に至りましたが、特に商売繁昌、無病息災、
禍転じて福となす “つなぎの神様” 江古田のお稲荷さんとして知られ、境内には開運幟が翻って、植裁された深い
緑の中で鮮やかに映えている。http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/nerima/6867/ より。
本殿の方へは行けませんでした。
拝殿上部
いや~綺麗な彫刻です。上部に「月」と「太陽」。その下に「恵比寿様」と「大黒様」。「弁天様」も?とても賑やかです^^
更に左上部を望遠撮影
気が使ったのですが、https://ameblo.jp/loveryou0225/entry-11745179314.html 様によると、隋神門の外に御祭神の
案内板があって、そちらによると、
・月日十天上大神(つきひじゅってんじょうおおかみ)
陰気を陽気に替へ、病気を直し、厄をはらい、人間、神に切り替える陽気ぐらしの切り替への神様。
・武蔵野稲荷大神
商売繁盛、金銀冨貴、開運の神。家内安全、交通安全、除災招福、食物の神様。
・弥栄天神(いやさかてんじん)(天満大自在天神)
学業成就、文道の大祖風月の本主として京都北野天満宮より観請。
のようです。この「月日十天上大神」さんは、どんな神様なのだろうとググってみましたが、某宗教団体分派の記述ぐらい
しか情報がありませんでした。左側の装飾マークには10個の星(丸)と陽と月が描かれているので「月日十天上大神」の
象徴なのでしょうか。
左は、境内・隋神門内の大黒様の手水舎
中央は、高天原鳥居入り口
「高天原」の鳥居
武蔵野稲荷神社身代稲荷大神
不思議な色合い(空気・空間において)ある神社でした。
武蔵野稲荷神社
・鎮座の年代は不詳。
・現在、本殿の建っている小高い塚は、瓢箪塚あるいは割塚(後が二個に割れているところから)とも言われた(明治初年の地図による)。
・文明9年(1477)、江古田・沼袋の戦で太田道灌によって滅ぼされた豊島軍の死者を葬った豊島氏の塚との言い伝えもある。
・古い塚であることは確かで、その守りとして稲荷が祀られたと考えられる。
・塚には白狐が十数匹も棲んでいたので白狐塚とも言った。ある時死んだ子狐を埋めて供養し幼児がよく育つようにと祈ったのが子守塚だと言う。
・明治、大正から昭和と、商家、歌舞伎役者、馬主、事業家等の信仰を集め、平成となった現在でも除災招福、病気平癒、商売繁昌の祈願が多い。
・弥栄天神は京都北野天満宮より勧請されたものである。
・境内建造物は、大正7年(1918)建築の際儀殿を除いて、昭和50年から5ヶ年計画で、本殿、拝殿、鳥居、随神門と新築整備されたものである。
その際、塚の後の割れている所は、本殿整備のため埋め戻された。
・手水舎は大黒が臼造りをしている珍しい作品である。
・参道はサクラ、イチョウなどの落葉樹がトンネルのように茂り、春は花、秋は紅葉で彩られる。
・なお、昔は「三の稲荷」とも言って、三の日の縁日が大変な人出で賑わったが、今は行われていない。(「練馬の神社」より)
https://tesshow.jp/nerima/shrine_sakaecho_inari.html 様より