2017.10 社用で「伊豆長岡温泉」へ行きました。台風の影響で天気は良くなかったのですが、1日目は雨に
降られることもなく歩き回れましたよ。
東海道新幹線で三島駅へ。三島駅では北口方面に下りちゃって、伊豆箱根鉄道の乗り換え口が見当たらない・・・^^;
駅員に聞いたら南口に回らなければならないらしい。全く分かり難い駅ですなあ。駅構内を通れる手書きのチケット?
をもらって北口へ。
で、改札を通ろうと思ったら、なんと「スイカ」が使えない!ひょえ~、今どき使えない私鉄があるのか?驚きましたわ。
超久しぶりに「切符」を買いましたよ。ギリギリ発車時間に間に合いました^^
雨は上がっています。駅前の観光案内所で地図をもらって・・・集合場所の「天坊」までは通常バスのようだけど・・・・
さ~て、どうするか? 何処か神社を探そう!
という事で、狩野川を渡って、とりあえず集合場所方向へ。
狩野川について調べましたよ。
狩野川(かのがわ)
静岡県の伊豆半島を流れる狩野川水系の本流で、一級河川。水系の流域面積は852km2で静岡県の面積の11%を占める。
鮎の友釣り発祥の地という説があるほど友釣りが盛んで、「狩野川を制すれば全国を制す」と評されている。
源流部では天城山の清流を利用したワサビ栽培が盛んである。
伊豆半島の最高峰、天城山に端を発し北流。沖積平野である田方平野を蛇行しながら、沼津市付近で大きく向きを変えて駿河湾に
注ぐ。静岡県内の大河川で北流するものは本川だけである。これはかつて島であった伊豆半島が、フィリピン海プレートの移動に
よって本州側のプレートに衝突し隆起したことによる。
水利用の大型ダムがなく、これは一級水系にしては数少ない特徴である。
源流にあたる天城山は、年間降水量が3,000mmを越える多雨地帯であり、豊富な水量と良好な水質により古くから繊維業、製紙業、
醸造業等の発展に寄与してきた。特に、天城山の清流を利用したワサビ栽培は、全国一の生産額を誇っている。
最も一般的な由来は『日本書紀』によるもので、応神天皇5年(274年)に伊豆の国で船を造り、その名を「枯野」と称したとあり、
それが軽野(カルヌ)からカヌに変わったという説である。現在でも伊豆市の湯ヶ島地区の松ヶ瀬には、軽野の造船儀礼と深く
関わっていた神社である軽野神社が残されている。
氷河期が終わり、海面が現在よりも数m高くなった約6,000年前の縄文時代には、縄文海進という海水面が高かった時代があり、
その頃には伊豆の国市の旧伊豆長岡町付近までは入江で、古狩野湾を形成していた。やがて海面が低下し始めると、狩野川が
土砂を堆積させ現在の田方平野を形成していった。その後、約1,000年前の狩野川は、自然堤防の状況から、旧大仁町・旧韮山町の
あたりでは現在よりも東側を流れていたことが確認できる。また、旧伊豆長岡町では網目状に旧河道が分布し、洪水のたびに流路が
変わったことを示している。当時は中州がいくつもできて島のようになり、「和田島」や「蛭ヶ小島(源頼朝の流刑地と伝わる)」
などと呼ばれていた。その後、狩野川の流路は次第に西側に移り、鎌倉時代と伝えられる「守山開削」により守山の西に移され、
現在とほぼ同様の流れになった。by wikipedia
このこんもりした山の東側も西側も伊豆長岡温泉郷のようです。道路は無いようなのだけど山を越える道がありそうだと
という事でさらに山の麓へ。ググったら「湯谷神社」があったので探しましたが良く分からず、道路を掃除していたおばさん
に聞きました。集合場所「天坊」へはグルリと回るしかない。山を越える道はかなり分かり難いですよ、との事。
取りあえず、すぐ近くの「湯谷神社」をおしえてもらったので参りました。
左側の立ち入り禁止場所は石切り場跡だったようです。
神社は、山の東斜面に鎮座しているのですが、この山、「源氏山」と呼ばれているようですね。地図では、「伊豆長岡公園」
となっています。源氏山公園とも呼ばれていますね。
源氏山の東にある湯谷神社は、ここから温泉が湧き出たということから古奈温泉の氏神とされています。
この湯谷神社は町内の大黒堂、最明寺とともに「源氏山七福神」のひとつになっており、こちらには恵比寿さまが祭られています。
湯谷神社の由縁によれば、 旧称を二社権現と云いその歴史はきわめて古く、創建時期は未だわかっていないとのことです。祭神
の大己貴命は大国主命の別名で、神仏習合の時代となってからは大黒様として親しまれている神様です(おおくに→大国→大黒)。
また、大己貴命は温泉を医薬に用いることを初めて人々に教えられた神として崇められ、全国の古い温泉地では概ね祭神として
祀られています。
伊豆長岡にある源氏山の大よそ東側を古奈と云います。源泉は古来より豆州古奈湯と呼ばれ伊豆国では伊豆山の走り湯・修善寺の
独鈷の湯と共に三名湯の一つとして特にその薬効をうたわれているとあったので、その歴史は鎌倉時代より古いようです。
https://kamakura8.blogspot.jp/2014/06/blog-post_12.html より。
温泉は、湯神・温泉神として古来より崇敬の対象となってきた。その神を祀るのが湯神社・温泉神社である。古代に発見された
温泉の多くは、大己貴神(大国主)と少彦名神が発見したと伝えられ、温泉神社の祭神である温泉神にはこの二神が充てられて
いることが多い。by wikipedia
参道階段上の二つ目の鳥居。立派な拝殿が見えてきました。
拝殿
恵比寿様
「えびす」という神は複数あり、イザナギ、イザナミの子である蛭子命(ひるこのみこと)か、もしくは大国主命(大黒さん)の
子である事代主神(ことしろぬしかみ)とされることが多い。少数であるが、えびすを少彦名神や彦火火出見尊とすることもある。
by wikipedia
というわけで、温泉地の神社には、大国主命~大黒様、少彦名神~恵比寿様が祀られていることが多いわけですねー。
雰囲気のある境内でしたよ。神社でお参りした後、 いよいよ源氏山へ。
弥勒山西琳寺
「古奈」は「源頼政の妻のあやめ御前」の故郷で、西琳寺に彼女の供養塔があるそうです。
遂に遊歩道の地図が出てきました。
本尊の弥勒菩薩は弘法大師が自然石に掘ったものだそうですよ。あやめ御前が念持仏として深く尊信したといわれています。
弥勒堂から眺めた伊豆長岡の町
山頂!ここで駅前で買ってきたオニギリ2個昼食タイム~。
だんだん晴れてきました。伊豆長岡温泉の西側が見えました。
「天坊」到着~。
「天坊」からの眺めです。この山を越えてきたんだなー。スーツに革靴で・・・アホですな(笑
ところで、この「源氏山」ですが、なんでこの名前が付いたのか?
源頼政の美しい妻の「あやめ御前」の故郷であるからでしょうけれど、伊豆長岡駅北方に蛭ケ小島(蛭ケ島)があるからで
しょうか?(蛭ケ小島は、平治の乱で敗れた源頼朝が1160年、14歳の若さで配流された地として伝わる。頼朝は挙兵までの
20年近くをこの地で過ごし、その間には北条時政の娘政子と結婚した。史跡は旧韮山町時代に公園として整備され、「蛭島碑記」
の石碑のほか、富士山に向かって並び立つ頼朝と政子の像が置かれているそうです。)
http://www.at-s.com/news/article/topics/shizuoka/deepop/305563.html より