2015.10.3には、石楯尾神社(相模原市緑区佐野川)へ参拝に行きました。
上野原インターからすぐ近くです。山梨県との県境になりますね。
神奈川県側の「相模川」は山梨県に入ると「桂川」となり、この桂川のほとりに鎮座しています。
手書きのなかなかインパクトのある看板です。
参道入り口
クサギ(臭木)の花
葉を触ると、一種異様な臭いがするのがこの名の由来。なんか可哀想な名前だなあ。葉の臭いは分かりませんでした。
境内へ向かう階段
楼門
楼門をくぐると、大きな松がおそらく相模川方向へと斜めに向かっています。水龍のよう。
旧来は、相模川の対岸にあった「エボシ岩」を崇拝していたそうですが、
拝殿
手水舎
満月の朝の霊開き
宮司さんが御祈祷されるようです。
拝殿内
末社
本殿
本殿脇の末社
絵馬・・・とても素朴な空気が流れていて撮りました。
御神木の夫婦杉
いや~元気で立派でしたよ。
個性的な空気の流れる境内でした。名倉の権現様、岩楯尾大神に見守られているようです。霊開きの祭祀で浄化されている
ように感じました。参拝して良かったです^^
石楯尾神社(いわたておのじんじゃ)
神奈川県相模原市緑区名倉に鎮座する神社である。「名倉の権現さま」とも呼ばれる。
当社は延喜式記載の鎮座地である「高座郡」より外側(旧愛甲郡)に位置するが、当時は郡の範囲が北西部の相模川沿い
まで伸びていたとする説もある。また、創建当初はいまの場所より僅かに西方の、甲斐国との国境(現在の山梨県との県境)
により近い位置に鎮座していたと伝えられる。
旧来「エボシ岩」が礼拝対象であった。この岩と伝わるものが明治に入るまで当社の東方近辺にあったが、中央本線の
鉄道建設工事の折に撤去されてしまった。また、この岩から見て当社は尾っぽの方(相模国の端であり、地形的には丘陵の
端でもある)に位置するので、「石楯尾(いわたてお)」と呼ばれるようになったともいわれる。
応神天皇の御幸所で御造営があったとも伝えられ、天安元年(857年)、従五位下の神とし官社に預った事が文徳実録に
記載されている国史所載社である。延喜式では式内小社に列した延喜式内社であるが三増合戦の禍を受け、永禄12年
(1569年)社殿全部が火災にあい、古記録まで焼失した。
現在の社殿は享保9年(1724年)に建築されたものである。
神社明細帳は元亀元年(1570年)に消失したとされ由緒がわからなくなっていたが、1942年(昭和17年)に神社明細帳の
訂正が許可され、正式に式内社として国家から認められた。また戦後には、古文書によっても証明されたとされる。
桂川南岸に鎮座していることから、式内社調査報告では地形的に当社が式内社である可能性が高いとしている。また、
文化5年(1808年)と翌年に神祇官から献上された幣帛が今に残っており、実際の証明物としても論社の中で最古のもので
ある。by wikipedia