2016.1.16 またまた富士山方面へ行ってきました。
河口浅間神社、道祖神祭、御師の家へ寄った後、河口湖方面へちょこっと向かったところの「ほうとう不動」で昼食。
帰ってきてからyahooに「ほうとう」検索かけたら、「甲州ほうとう小作」(以前行きました)に次いで二番目に出てくるお店でした。
河口湖周辺に4店舗くらいあるみたいですね。美味しかったです^^ でも量が多くて食べきれませんでした。
続いて、富士山中最古の神社と云われる、「冨士御室浅間神社(ふじおむろせんげんじんじゃ)」へ行きました。
冨士御室浅間神社・里宮(本宮もこの境内にあります)
河口湖南湖畔の中ほどに佇んでいました。桜の季節は綺麗みたいですよ。
参道を進むと随身門
随身門をくぐると拝殿
拝殿
もっとたくさんの人が訪れているのではないかと思いましたが、数人の参拝者のみで、とても静かでした。
お昼過ぎでしたのでポカポカ暖かく長閑な空間で、ゆったりと参拝できました。
拝殿は、富士山方向を向いています(背中に河口湖)
続いて、同じ境内脇にある本宮へ。
里宮の拝殿とは趣を異にする朱塗りの本宮拝殿です。
こちらが冨士御室浅間神社本宮の本殿。
囲われていたのでカメラでは撮れず、iphoneで撮影しました。
冨士御室浅間神社
文武天皇3年(699年)に藤原義忠によって創建されたと伝えられる。社名の「御室」は、かつて祭祀を石柱をめぐらせた中で
執り行っていたことによるものである。
天徳2年(958年)には、村上天皇により、氏子の祭祀の利便のため河口湖の南岸に里宮が創建された。
中世には修験道、近世には富士講と結びついて発展した。
戦国時代には甲斐武田氏の崇敬を受けた。
現在の社殿(里宮)は、明治22年に再建されたものである。
現在の本殿は、慶長17年(1612年)に徳川家の家臣の鳥居成次によって建てられたものである。その後4回の大改修を経て、
昭和48年(1973年)に富士山二合目から里宮に移築された。
構造は、一間社入母屋造り、向拝唐破風造りで、屋根は檜皮葺形銅板葺きであり、桃山時代の特徴をもっている。
国の重要文化財に指定されている。
富士登山道の二合目、標高1700mの地点にある「奥宮」があります。
境内は本宮と里宮からなる。本宮である山宮は富士山吉田口登山道の二合目に鎮座する。この山宮の境内は富士吉田市の中にある
富士河口湖町勝山の飛び地である。富士山山中に最初に勧請された神社とされている。里宮は河口湖畔の勝山に鎮座する。
by wikipedia
12世紀末期から16世紀後半にかけて複数回にわたり修築が行われ、
16世紀後半には、この地域の封建領主であった武田信玄(1521~1573)により大修理が行われたとされています。
現在、里宮に存在する冨士御室浅間神社の本殿は、1612年に本宮の境内において再建されたものであります。
再建後の1698年、1867年にも修復が行われましたが、二合目の本宮の地は冬季の参拝及び維持に困難を極めたことから、
厳しい自然環境から恒久的に本殿を保護するため、
1973~74年に河口湖畔の集落にほど近い現在の里宮の地に移築されました。
http://www.yamanashi-kankou.jp/kankou/spot/p1_4350.html より
神社の西側、駐車場の奥のシッコゴ公園から河口湖を望む。
河口湖というと華やかな印象があって、こんな原生的なイメージはありませんでした。
春の流鏑馬神事(やぶさめしんじ)の舞台となる公園です。「シッコゴ」というのはアイヌ語で「湿原」を意味します。
穏やかで温かく気持ちよかったです。この二日後、富士河口湖町40cm、都心でも6cmの積雪で富士山は真っ白になりました。