2015.12.5 山梨県山中湖村の石割神社・石割山へ行ってきました。
「石割の湯」でのんびりした後、国道138号を河口湖方面へ。河口湖付近の各浅間神社へ行こうと思ったのですが、
暗くなってきてしまったので、急きょ「北口本宮冨士浅間神社」へ。神社前を通ったら、なかなか凄そうな神社で、
いずれ来たいと思っていたのでUターンして行ってみました。
大きく立派な鳥居です。
この時点で16時ですから、かなり暗かったです。
景行天皇40年(西暦110年)、日本武尊ご東征の折、足柄の坂本(相模国)より酒折宮(甲斐国)へ向かう途中で当地「大塚丘」
にお立ち寄りになられ、そこから富士の神霊を親しく仰ぎ拝され「北方に美しく広がる裾野をもつ富士は、この地より拝すべし」と
仰せになりました。よって大鳥居が建てられ、大塚丘に浅間大神と日本武尊をお祀りし、当社の創建となりました。
天応元年(781)、富士山の噴火があり、甲斐国主の紀豊庭朝臣が卜占し、延暦7年(788)、大塚丘の北方に社殿を建立しました。
これが現在社殿のある地で、ここに浅間大神をおうつしし、大塚丘には日本武尊をお祀りしました。http://sengenjinja.jp/
富士講の開祖とされる長谷川角行(藤原角行:1541.1.15~1646.6.3)は戦国時代に現れて、富士の人穴(富士宮市)や
北口本宮参道の立行石等で荒行を重ねて法力を得、祈祷の力により諸病平癒などで庶民を救済しました。http://sengenjinja.jp/
仁王門の跡
明治初年の「神仏分離令」施行の際、門は撤去されたが礎石だけが残り、その面影だけをしのばせている。
参道を振り返るとこんな感じ。
木造では日本最大とされる鳥居「冨士山大鳥居」。
鳥居の大きさは、高さ約18メートル、幅約11メートル。柱の太さは最大で直径約1.2メートルになります。
鳥居と言えば、広島県の宮島にある厳島神社の海中に立つ赤い大きな鳥居を思い浮かべる方も多いと思いますが、その鳥居より
「冨士山大鳥居」は1.5m程大きいのです。
額には、神社の名前ではなく、「三国第一山」と記されています。これは、この鳥居が北口本宮浅間神社の鳥居ではなく、富士山
そのものに対する鳥居であることを意味しています。ちなみに、「三国第一山」の“三国”とは、日本、中国、そしてインドをさして
おり、仏教的な世界観で「世界」そのものを表しています。 神仏習合の名残でしょうか。
この大きな鳥居は、江戸時代後期より60年に一度、大きな改修が行われてきたようで、前回改修が行われた1954年から60年ぶり
の昨年(2014年)に改修が行われました。
今回の改修では、鳥居を支える8本の柱が取り替えられ、全体の色が塗り直されました。鮮やかな朱色が輝いて見えます。
4本の袖柱には、国産の桧が使われています。2本は東京のあきる野市より、残りの2本は埼玉県飯能市と島根県津和野町から
調達されたとのことです。http://fujicalm.jp/staff_blog/2014/06/post-136.html
大鳥居手前の禊川 富士の湧き水を引いていると思われます。
隋神門
元文元年(1736)の建立です。永正17年(1520)の銘のある随神像が存在することなどから、村上光清らにより新たに
再建されたものと推定されます。https://www.city.fujiyoshida.yamanashi.jp/forms/info/info.aspx?info_id=5303#5_0
神楽殿
神楽殿は、本殿の正面に位置し、本殿に向かって神楽を奉納することになります。元文元年(1737)に村上光清を中心とした
富士講中による境内建物大修理の一環で建立されたものです。
https://www.city.fujiyoshida.yamanashi.jp/forms/info/info.aspx?info_id=5303#5_0
北口本宮冨士浅間神社 拝殿および幣殿 附石垣・本殿瑞垣および恵毘寿社
本殿の前面に付属する建物として、元和元年(1615)に鳥居成次によって本殿とともに造営されました。慶安2年(1649)
には秋元冨朝によって本殿とともに修復が加えられ、享保19年(1734)から寛延4年(1751)まで村上光清を中心とした
富士講中によって修復がなされ、今日にその姿を残しています。
https://www.city.fujiyoshida.yamanashi.jp/forms/info/info.aspx?info_id=5303#5_0
いや~立派な生命力漲る大杉です。拝殿も大きく貫禄がありますね。
冨士浅間神社の大スギ
北口本宮冨士浅間神社の拝殿前向かって左側に立っており、推定樹齢は約千年です。古代に神霊を招く聖域として、四隅に樹木
を植えたものといわれています。同神社の神木として現存する3本のうちの1本です。本樹は、根廻り21m、幹根境の周囲12.7m、
目通り幹囲8m、樹高30mで、幹は地上約10mから二支に分かれています。
https://www.city.fujiyoshida.yamanashi.jp/forms/info/info.aspx?info_id=5303#16_0
手水舎
延享2年(1745)に建立されました。本殿、東宮、西宮と並ぶ彫刻類の多さや、富士山の溶岩から削り出された巨大な水盤石と
四本の柱など、村上光清らによる大修理に相応しい作りです。水盤石に立つ青銅の龍の口からは、富士信仰の霊場である富士八海
の一つ、泉水から引き込んだ霊水が、現在も絶え間なく溢れ出ています。
https://www.city.fujiyoshida.yamanashi.jp/forms/info/info.aspx?info_id=5303#3_0
拝殿内です。
賑やかな空間で、歴史を重ね沢山の人たちの往来を感じさせます。
拝殿奥にきらびやかな本殿が見えました。
夕方、暗くなってきていましたが結構参拝者がおられましたよ。
古来より社中に「諏訪の森」が位置し、諏訪神社の鎮座地に浅間神社を勧請したと伝わる。現在当社は浅間神社であり祭神も
木花開耶姫命を主祭神としているが、当初は諏訪神社であったと考えられている。by wikipedia
との事で、北口本宮と諏訪の御朱印を頂けるようです。
本殿側面より
右は「次郎杉」です。
静かな何かしらの気配を感じ・・・・
突き当り正面の「東宮本殿」(国指定重要文化財)
御祭神:天津日高彦火火出見命 武田信玄建立(永禄4年―1561)
「西宮本殿」(国指定重要文化財)
一間社流れ造りの優美な室町時代末の建造物。祭神は天照大神・豊受大神。琴平大神の三神をまつっています。
ここから富士山の吉田口登山道へ。
北口本宮冨士浅間神社は、富士の噴火を鎮めるために建立されたのが始まりとされる由緒ある神社でもあり、富士 登山の起点で
吉田口登山道はここからスタートしています。江戸時代には富士講が流行し、周辺には御師の宿坊が百件近く立ち並んだこともある
そうです。
この奥に大塚山があったようです。帰って調べてから知りました。残念。。。。。
奥が「太郎杉」。右側にある御神木は「富士夫婦桧」。ヒノキです。幹周/7.65m、根回り/17.0m、樹高/33m、樹齢/約1000年。
だいぶ暗くなりました。
富士講
江戸から吉田までは健脚でも片道3日、吉田から頂上までは少なくとも往復2日、合計8日間の旅(運よく好天に恵まれた場合)は、
現在からは想像もできない程の時間と費用がかかりました。そこで、庶民に信仰が広がるにつれて、お金を集め代表を選び皆の祈願を
託す「講」の仕組みを利用するに至ったことは想像に難くありません。こうして、近世には江戸を中心に各地域で「富士山信仰のための
講 ~富士講~」が成立しました。http://www.sengenjinja.jp/fujikou/index.html
境内の諏訪神社と大杉
ホントに立派な神社でした。
また明るい時間帯に来てみたいと思います。
http://www.tree-flower.jp/19/kitaguchi_hinoki_395/fuji_meoto_hinoki.htm