2015.8.8 金鑚(かなさな)神社に行きました。
金鑚神社(かなさなじんじゃ、金鑽神社)は、埼玉県児玉郡神川町字二ノ宮にある神社。
関東平野西縁、埼玉県北西部に立つ御獄山(標高343.4メートル)山麓に鎮座し、社殿後背の御室山(御室ヶ獄)を神体山
として祀る。山を神体山とするため、社殿には本殿は設けないという古代祭祀の面影を残すことで知られる。
また、「武州六大明神(武蔵六所大明神)」の一社にも数えられる神社である。
社名「金鑚(かなさな)」は、砂鉄を意味する「金砂(かなすな)」が語源であると考えられている。神流川周辺では
刀などの原料となる良好な砂鉄が得られたと考えられており、御嶽山からは鉄が産出したという伝承もある。
by wikipedia
金鑚神社(境内案内板より)
金鑚神社は、旧官幣中社で、延喜式神名帳にも名を残す古社であ る。むかしは武蔵国二の宮とも称された。
地名の二の宮はこれによ っている。社伝によれば、日本武尊が東征の帰途、伊勢神宮で伯母の倭姫命 より
賜った火打石を御霊代として、この地の御室山(御岳山)に奉 納し、天照大神と素盞嗚命を祀ったのが始まり
とされている。
鎌倉時代には、武蔵七党の一つ、児玉党の尊信が厚く、近郷二十 二カ村の総鎮守として祀られていた。江戸時代
には徳川幕府から御 朱印三〇石を賜り、別当の一乗院とともに栄えた。
境内には、国指定重要文化財の多宝塔や、平安時代の後期、源義 家が奥州出兵のため戦勝祈願を当社にしたときの
ものという伝説の 遺跡”駒つなぎ石””旗掛杉””義家橋”などがある。
なお、この神社にはとくに本殿をおかず、背後の山全体を御神体 としている。旧官・国幣社の中で本殿がないのは
ここのほか、全国 でも大神神社(奈良県)と諏訪神社(長野県)だけである。
街道沿いの大鳥居をくぐり、駐車場に車を止めると参道方向の右手(駐車場ほぼ正面)に金鑚神社多宝塔が見えます。
この多宝塔は、次回に投稿しますね。緩やかな坂を登ると社務所があり、その前の灯籠、赤い橋が境内中央へと誘います。
鳥居の正面は神楽殿です。
鳥居の手前右手側
下乗(げじょう)
「これより先は神域なので乗り物から下りて入りなさい。乗り物から下りなさい。乗り物に乗ったまま入ってはいけません」
という意味です。昔の人は、ここで「駕籠(かご)」や「輿(こし)」から降りたのですね。
ちなみに「下馬(げば)」は「馬に乗ったまま入ってはいけません。馬から下りて入りなさい。」という意味。
旗懸銀杏
樹齢約550年といわれるイチョウの大木。金鑚神社の御神木で、源義家奥州平定の帰路に植えたイチョウの二代目ともいわれる。
ひっそりとした神楽殿
何となく惹かれる空間で、そこは「無」ではなく、「沈黙の気配」を感じました。
拝殿正面
拝殿後方
拝殿後方奥に本殿はありません。
通常の神社であれば、そこに本殿があるはずですが、当社は、奈良の大神神社、長野の諏訪大社同様、本殿を持たない
珍しい神社です。 社殿後背の御室山(御室ヶ獄)を神体山として祀っています。山を神体山とするため、社殿には本殿は
設けないという古代祭祀の面影を残すことで知られています。
御嶽山もしくは御室ヶ嶽は、金華山ともいい、山腹に銅を彫ったあとがあるらしく、その銅は、黄鉄鋼を多く含んでおり、
黄金色をしていたという。その銅採掘を神格化したと考える説である。故に、当社の祭神を「金山彦命」であるとする資料
もある。http://www.genbu.net/data/musasi/kanasana_title.htm より
境内の左手、御嶽山へ向う途中に、長屋状態の境内社(19社)が祀られています。
神体山の御室山(御室ヶ獄)ではなく神楽殿奥の御嶽山周囲のくるりと一回りできるコースがあったので行ってみました。
いや~暑かったっす。しかし、山道はフカフカな土壌のようなものが引かれていて歩きやすかったです。
左回りで登って下りましたが、あやめ池は枯れてたのかな?解りませんでした。
鏡岩手前の、このコースのピーク。遠足かな?子どもたちがたくさん居ましたよ。
コースには、石仏群がずっと寄り添っていました。
帰りはほとんど階段の下りでした。右回りで正解だったかも。
降り始めると、この鏡岩がありました。
御嶽の鏡岩(昭和三十一年七月十九日 国指定特別天然記念物)
御嶽の鏡岩は、約一億年前に関東平野と関東山地の境にある八 王子構造線ができた時の岩断層活動のすべり面である。岩面の
大きさは、高さ約四メートル、幅約九メートルと大きく、北向きで 約三十度の傾斜をなしている。岩質は赤鉄石英片岩で、
赤褐色に 光る岩面は、強い摩擦力により磨かれて光沢を帯び、表面には岩 がずれた方向に生じるさく痕がみられる。
岩面の大きさや、断層 の方向がわかることから地質学的に貴重な露頭となっている。
鏡岩は古くから人々に知られていたようであり、江戸時代に記 された『遊歴雑記』には、鏡岩に向えば「人影顔面の皺まで明細
にうつりて、恰も姿見の明鏡にむかふがごとし」とあり、『甲子 夜話』にも同様の記述がある。また、鏡岩がある御嶽山の一帯は、
中世の山城である御嶽城跡が所在することでも知られているが、 鏡岩が敵の目標となることから、城の防備のため松明でいぶした
ので赤褐色になったという伝説や、高崎城(群馬県)が落城した時 には火災の炎が映ったとも伝えられている。
このように鏡のように物の姿を映すということから、鏡岩といわれるようになった。(案内板より)
下りはずっと階段でした。ゆっくりしたかったのですが、とにかく蚊がうるさくて参りました。
神流川の北側、群馬県の鬼石町・天神茶屋でお蕎麦を食べて、神川町のヤマキ醸造・麹庵へ寄りました。
その脇のちょっと変わった山。頂上まで行けるのかな?