2013.12.8 ご縁があって「放生寺」「穴八幡宮」へ行ってきました。
放生寺(ほうじょうじ)
東京都新宿区西早稲田二丁目にある高野山真言宗準別格本山の寺院。
山号は光松山(こうしょうざん)。本尊は聖観世音菩薩で、「江戸三十三箇所」の第15番、「御府内八十八箇所」の第30番。
1641年(寛永18年)に穴八幡宮(高田八幡)の別当寺として同神社の隣に創建された。
冬至の「一陽来復」のお守りでも知られる。
「一陽来復」とは、冬が終わり春が来ること。新年が来ること。また、悪いことが続いた後で幸運に向かうこと。陰の気がきわまって
陽の気にかえる意。放生寺では「復」の字を「福」としているようです。
冬至といえば、一年でもっとも昼が短い日。この日を境に日が長くなる、まさに「再生の日」。古代には、冬至を1年の始まりとして
いました。お寺の納骨堂の天井には、堂を建てるときに切らねばならなかった植物の絵が描かれていました。生を放つお寺・・・・・
ここも良い空気が溢れていました。
お隣の「穴八幡宮」
蟲封じのほか、商売繁盛や出世、開運に利益があるとされている。旧称は高田八幡宮。
1641年(寛永18年)宮守の庵を造るため、社僧良晶が南側の山裾を切り開いていると横穴が見つかり、中から金銅の御神像が現れた。
3代将軍徳川家光は、この話を聞いて穴八幡宮を幕府の祈願所・城北の総鎮護とした。
それで「穴」八幡なわけですねー。
歴代将軍がたびたび参拝し、8代将軍徳川吉宗は、1728年(享保13年)に世嗣の疱瘡平癒祈願のため流鏑馬を奉納した。
これを奉納した(この10年後、無事疱瘡祈願成就した折に報賽として再び行われ、その様子を絵巻にしたものが『流鏑馬絵巻』である)。
この後、将軍家の厄除け、誕生祈願の際などに度々流鏑馬が行われるようになる。明治維新を経て幕府解体、また第二次世界大戦と
以後の煽りを受けるなど三度の衰退を見るが、戦後に復興、現在に至る。現在、流鏑馬は神社の神事として、日本の各地で盛んに行わ
れ、観光の目玉となっている。
高田馬場流鏑馬 - 新宿区指定無形民俗文化財
「高田」の地に「馬場」ができたから、「高田馬場」なんですねー。
冬至の「一陽来復」のお守りでも知られる。お守りを受け取れる期間は毎年冬至の日から翌年節分の日までであり、冬至の日は特別に
午前5時から受け取る事ができる。
実は、pawはこの近くの生まれ。知ってはいたのですが、まさかこんな神社・お寺だとは思ってなかったです。いや〜、知らない所は
まだまだ沢山あるなあ。。。