では、市内観光〜^^
ホーチミン市人民委員会庁舎
1901年から1908年にかけて建造されたイタリア・ルネッサンス様式の建物。もとはフランス
占領時代にシティ・ホールとして建てられたもの。パステル・イエローの華やかな外観をもつ
ヨーロッパ調の建築様式は、アジアの街には不釣り合いだと、当時ヨーロッパで大論議を醸した。
家具やシャンデリアなど、内部もかなり豪華。しかし残念ながら内部の見学はできない。
人民委員会庁舎からレタイトン通りを挟んだ所にある広場の子どもを抱いたホーチミン像
サイゴン大教会(サイゴン聖母大聖堂)
ベトナムのホーチミン市1区にあるカトリックの大司教座大聖堂。聖マリア大聖堂
とも呼ばれる。サイゴンがフランスの植民地だった1863年から1880年にかけて建設された。
正面
入ってみよう^^
正面左
同行者は誰も入ってこなかったので、少し個人的な時間に入り込みました^^ いい空間でしたよ^^
正面右
中央郵便局
ヨーロッパの駅のようだと例えられることが多いこの郵便局ですが、1886年から当時ベトナムを統治していた
フランス政府によるフランスへの連絡手段として造られたそうです。
正面にはホー・チ・ミン氏の自画像
ホー・チ・ミン(1890年5月19日 - 1969年9月2日)
ベトナムの革命家、政治家。植民地時代からベトナム戦争まで、ベトナム革命を指導した。初代ベトナム民主
共和国主席、ベトナム労働党中央委員会主席。ベトナム人民からは『ホーおじさん(バック・ホー、Bác Hồ, 伯胡)』
の愛称で呼ばれている。
第一次インドシナ戦争の時とは違い、ホー・チ・ミンはベトナム戦争で強力なリーダーシップ
を発揮することはなかったが、1966年7月17日にラジオ演説で『抗米救国檄文』を発表して
「独立と自由ほど尊いものはない」と呼びかけるなど、国家元首としてベトナム人民を鼓舞し
続けた。戦争終結に向けた動きが始まった1969年の9月2日、ホー・チ・ミンは突然の心臓発作
によって死去し、79年の生涯を閉じた。
ベトナム戦争は1975年4月30日のサイゴン陥落によって終結。ベトナム民主共和国が主導して
南北統一が実現し、1976年7月2日、ベトナム社会主義共和国が成立した。南ベトナムの首都
だったサイゴンは、戦争終結直後の1975年5月1日、ホー・チ・ミンに因んでホーチミン市に
改称された。
政治思想や手法には賛否両論あるが、特筆すべきは、ソ連のヨシフ・スターリンや中華人民
共和国の毛沢東など、革命によって権力を握った共産党指導者が独裁的になって反対派を粛清
する例が多いのに対し、ホー・チ・ミンは、腐敗や汚職に無縁で、禁欲的で無私な指導者であり、
自らが個人崇拝の対象になることを嫌っていたことである。ホー・チ・ミンの指導下において、
政策議事は徹底的な討議を前提とした非公開の全会一致制とされた。またホー・チ・ミンは自伝
の類を残さずに死んだため、後継指導者層や軍人達の間でも「ホー・チ・ミンが何も語らずに
逝ったのに、我々が何を言えるだろう」として自己の業績についてほとんど語らないという伝統
が生まれた。by wiki
素晴らしい!!!