「・15のライフレッスンbyキューブラーロス」カテゴリーからの投稿です。
「遊びが何故人生のレッスンになるのか」という問いに対する答えは、死の床にあ
る人たちの後悔の中に見いだす事ができます。自分の人生を振り返ったとき、彼ら
が一番後悔するのが、「あんなに真面目に生きる事はなかった」という事なのです。
誇りをもって仕事の成果を語る人はいますが、そんな人でも人生の最期には、仕事
の成果以上のものがあったのだという事に気づきます。仕事の成果に匹敵するほど
充実した私生活がなければ虚しい人生になるという事を発見するのです。懸命に労
働しただけでは、本当に生きた事になりません。俗諺にあるように「勉強ばかりで
遊ばない子どもはバカになる」。遊ばない人生も、バランスを欠いた鈍な人生にな
ります。
私たちは生涯愉快に過ごし、遊ぶために地上に生まれてきました。遊びは単に子ど
もの気晴らしではなく、人生の力であり、生命力です。遊びは精神に若さを保ち、
仕事に情熱を与え、人間関係の充実に役立ちます。遊びは元気回復剤であり、回春
剤です。遊ぶ事は人生を最大限に生きる事です。
残念ながら、現実の人生における遊びの優先順位はあまり高くありません。自分と
家族を養わなければならない以上、仕事の優先順位が高くなるのは当然の事ですが、
現在ではそれが高くなり過ぎています。あまりにも多くの人が、たえず生産的であ
り、いつも成功し、常に達成する事に囚われ過ぎています。何かを「する」方法は
知っていても、生き物として「ある」方法を知らないのです。
彼らは、たまの週末に遊びに出かけても、時間を無駄にしているという焦りの感情
から逃れる事ができません。彼らは、家族に豊かさを与えるために働いていると思っ
ています。しかし、家族が求めているのは、実は働いている当人が傍に居る事なの
です。
確かに成功も支配も重要でしょう。しかし、遊びも重要です。人間は生まれながら
にして遊びたい、はめをはずしたい、本能のままに振る舞いたい、ストレスや緊張
を一掃したいという欲求があります。不幸な事に、我々はその欲求を押さえつけ、
自分にそんな欲求があることさえ忘れてしまいました。
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バリバリに仕事をしていた頃は、何か常に焦燥感があって、休日でも休んだ気がしな
かったという記憶があります。常に頭の中をハエが飛び回っていて、そのハエを追い
まわしていたような・・・(笑)
最近では、仕事をすればするほど、それに比例して遊ぶ時間も多く持つようにになり
ました(笑)そうやってバランスをとっているような・・・^^
今日考えても仕方のないことは考えない。仮に明日、仕事上のトラブルに対応しなく
てはならないと分かっていても、それは今日考えない。長く仕事をしていると、そんな
風に考えられるようにもなりました。
これは、「今日を生きる」ことにも繋がりますよね。
一度きりの人生、大いに楽しみましょう^^