「・15のライフレッスンbyキューブラーロス」カテゴリーからの投稿です。
罪悪感は許せない気持ち、恥じる気持ちといった、その人のもっとも弱い部分と結
びついています。全体の中ではごく小さなその部分が罪悪感を育み、それを放置す
る事が罪悪感に栄養を与えています。罪悪感を持つと人は狭量になり、低次の思考
ばかりが活発になります。そして、その事を恥じるようになります。従って、行動
を起こし、誰かにしゃべる事が解決法になります。それはカトリックの告解に似て
います。告解をする人はしばしば秘密の重荷を下ろし、大いなるものに愛されてい
るという恩寵と出会うことができます。真の自己は罪悪感を知りません。真の自己
は世俗の罪を超えたところにいます。
平和と罪悪感は対立の関係にあります。平和と罪悪感を同時に経験することはでき
ません。平和と愛を受け入れた時、罪悪感が消えます。その逆も同じで、罪の意識
に囚われているうちは、愛と平和がやってこないのです。そのいずれかを選択する
ことができるところに救いがあります。愛に身をゆだねること、罪の意識と平和の
意識を入れ替えることは可能なのです。
罪の意識を抱いている全ての事は、浄化と許しによって消し去る事ができます。ど
うしても許せない人がいて、その事で悩んでいる人は、判断し、裁くことの全てを
手放してしまいましょう。神の聖なる子どもとして、その人はけっして罰せられる
ことはありません。自己を許し、他者を許しさえすれば、罪悪感はおのずから消え
ていきます。人は罪に値するものではなく、許しに値するものです。そのレッスン
を学んだとき、我々はまったき自由な存在になるのです。
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落ち込んだとき、凹んだとき、誰かに話を聞いてもらう・・・・これが解決に繋がるよう
です。とすると、男性よりも女性の方が上手に解決しているのかもしれませんね(笑
いずれにしても、独りで悶々としていれば、小さな罪悪感もどんどん膨らんで、やがて
ネガティブな思考が活発になって、卑屈になっていくでしょう。
「罪の意識に囚われているうちは、愛と平和がやってこない」・・・他者を攻めても、
自分を許せなくても、それはネガティブ的であるわけで、ポジティブな心の状態は訪れ
ないということですね。
「罪を憎んで人を憎まず」・・・・「その人」を憎むのではなく、その人の「行いや罪」を憎
む。本来、真の自己(本心や魂)であるその人は、この世での仮面を被っている。仮面
を被った状態での悪い行いは罪であるが、仮面の下は、神の領域と繋がっている。魂
の転生を信じるのならば、自分がその人の仮面をこれから被るかもしれないし、被った
ことがあったのかもしれない。差別意識(肌の色、貧富など)も、それが解ると消滅する
のではないでしょうか?
次回からは「時間のレッスン」です。