2018.3
川越郊外の神社を訪れました。まずは菅原神社。
参道 国道16号、川越市南大塚の交差点の歩道橋の上より。
参道入り口
一の鳥居
境内は梅が綺麗でした。
拝殿
拝殿内
一間社流造の本殿は万延元年(1860)4月の造営で、地元の大工・瀧嶋秀五郎の手によるものです。拝殿と本殿とは
反橋で結ばれるという珍しい社殿構成。う~素晴らしいです。
・社伝によれば南北朝期の創建で、慶長十一年(一六〇六)この地を開発した藤倉大膳が信仰したと伝わります。
・江戸中期は西福寺が別当をつとめていました。
・本殿は、小型の一間社流造で、屋根は木瓦葺とし、千鳥破風、軒唐破風を付けています。身舎の架構は複雑で、かつ
彫刻も多用しますが、江戸末期に川越に流行する江戸彫をふんだんに用いた本殿のように、壁一面に彫刻をはめ込む
ようなことはありません。また、本殿の前に入母屋造り、桟瓦葺の拝殿がありますが、これも本殿も同時期の造営です。
・拝殿と本殿とは反橋で結ばれており、連続する空間を形成するという珍しい社殿構成となっています。また、当社には、
建地割図一枚、「天満宮御普請着帳」「天満宮木割覚帳」の造営関係文書二点が残されています。これらの史料から、
現社殿は万延元年四月の造営で、当村の大工瀧嶋秀五郎注暉の手になるものとわかります。棟札も二枚残されており、
造営関係史料が豊富に残っていることも貴重です。(川越市教育委員会掲示より)
境内社は、稲荷社、牛頭天王社、御嶽社。
拝殿内には、拝殿から本殿への橋があって、不思議な空間をかもしだしていました。国道16号の脇ですし、お隣は麺工場で
白い煙がもくもく出ていましたが、良好にお手入れされている空間でした。
帰って調べて分かったのですが、社殿は「菅原神社東古墳」(「南大塚古墳群」の1つで直径20mほど)の上に建てられて
いるそうです。