2017.12.2 山梨県北杜市にある神社・遺跡を巡ってきました。
その後、前回、日向山の登山帰りに参ろうとして行けなかった甲斐駒ケ岳神社へ。(その時は間違えて「横手駒ケ嶽神社」へ
参ってしまったのでした)
大きな駐車場に停めて神社へ。ところがあまり「神社はこちら」みたいな看板が無くて、なんとなく尾白川渓谷、甲斐駒ケ岳
竹宇登山口方向へと歩いていきました。砂利道をしばらく歩いても神社が見当たらなくて前方から来る方に訪ねると、すぐ
そこですよとの事。大きな岩を通り過ぎると右側に神社が見えてきました。
甲斐駒ケ岳の名称は建御雷神から生まれた天津速駒と言う白馬が住んでいたのに由来します。同様に尾白川 もこの白馬の尾
から取られたものです。甲斐駒ケ岳は 信州の人今右エ門の次男、権三郎(後に弘幡行者開山 偉力不動尊)によって開かれた
信仰の山であります。 駒ケ岳神社は甲斐駒の麓にあり、今から約270年前 に駒ケ岳講信者が建立し、須佐之男命の子、
大躬 貴命が祭られています。幽玄なる神木に囲まれたこの 神社は毎年4月12日に神楽が行なわれ講社、氏子の 参拝で
賑やかです。~由緒書より。
「山梨県神社誌」には横手の駒ケ嶽神社は記載されているが、ここ竹宇の駒ケ嶽神社は載っていないそうです。横手の駒ヶ嶽
神社の由緒書には「雄略天皇の御代二年六月(西暦460年位)に改めて 雲州宇迦山(出雲大社)より遷祀した」とあります。
横手の方が歴史があるのかもしれませんが、いずれにしても江戸時代以降の山岳信仰によって、どちらの神社も歴史を重ねて
きたような境内の空気・空間です。
手水舎
渋い鳥居です。
不動明王でしょうか。
神楽殿
拝殿と神楽殿
祖霊社
拝殿
境内の手前から拝殿の奥まで沢山の石碑が立っています。修験系、山岳信仰の神社の色合いが見られますね。
崖崩れの恐れありとの事で右側の「黒白龍神宮」にはロープが張られいて参れませんでした。
摩利支天社
刀が立て掛けられていますね。
摩利支天像でしょうか? 見ていると惹きこまれますね。
境内には数え切れないほどの石碑が建っています。「お墓ではありません」と立札がありました。
境内奥に尾白川にかかる釣橋があります。ここから甲斐駒ケ岳の登山道へと続いていきます。
吊り橋は定員5名ですよ。
いや~綺麗な川床です^^
下流側
登山道入り口
神社入り口境内脇の「尾白荘」
帰りに、尾白渓谷駐車場を出てしばらく走ると猿の集団が道路を横切っていきましたよ。
国道20号に出る前に振り返りました。神社の方からは近すぎて見えませんでしたが、甲斐駒ヶ岳が奥から姿を現していました。