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軍荼利(軍太利神社)&八耳堂(埼玉県飯能市)

2017.11.26 天覧山へ低山(丘?・笑)ハイクへ行きました。多峯主山から下りた後、軍荼利(軍太利神社)&八耳堂へ
立ち寄りました。

軍荼利(軍太利神社)&八耳堂は、御嶽八幡神社の南、入間川(名栗川)を渡った対岸辺りにあります。

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八耳堂と軍荼利神社
この八耳堂は、真言宗の寺、金輛山無量院金蔵寺の仏堂で、太子堂とも呼ばれています。本尊は、聖徳太子(厩戸皇子)を
まつり、保元年間(1156~1158)に建立されたといわれていますが、現在の建物は、文政3年5月再建したものです。この奥手
に軍荼利神社があって、鎌倉時代の建仁2年(1202)に飯能地方の武士、大河原四郎氏が創建したといわれています。大河原
氏は、この地方の殿屋敷と呼ばれる場所に居住して、この社の南方に位置す龍崖山に砦を造って非常に備えるとともに、
金蔵寺とこの神社を厚く信仰したといいます。この紳社は、天和2年(1682)年に火災にあったのちに再建されました。看板より

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八耳堂の脇、神社の前には池があり、大きな鯉が何匹かおられましたよ。

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軍荼利(軍太利)神社

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紅葉が綺麗です。本殿裏の大イチョウも見事な黄葉でした。

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一の鳥居、二の鳥居、灯籠、両御神木(シラカシ)が綺麗に重なり合っていて参道を進むごとに雰囲気が変わります。

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本殿

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軍荼利(軍太利神社)拝殿・本殿の左にも鳥居があって奥に摩利支天社がありました。

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本殿裏の末社

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軍太利神社

祭神:加具土命、大日霊貴命外7柱の命

建仁年間(1201-1203)当村の領主大河原四郎が勧請したと伝えられます。明治5年村社に列格、明治40年近隣の
稲荷神社3社・神明神社2社・愛宕神社3社・白山神社・阿松神社・八坂神社・軍太利神社を合祀しています。

<由緒>
名栗川の南岸にある当地は、二つの山の狭間にあり、すぐ後ろは竜崖山が控え前方には多峯主山が望める。『風土記稿』
によると古くはここは軍茶ヶ根(ぐんだがね)村と呼ばれ、これは「軍太利神社」を祀るために付けられたものかと記され
ている。社記によると、当社の勧請は土豪の大河原四郎の手により行われ、部門の守護神として末社摩利支天社とともに
祀られる。大河原氏はこの地の殿屋敷と呼ばれる所に居住し、当社南方の竜崖山に砦を築き戦いに備え、殿屋敷・篝場・
売堀・馬場などの地名が『明細帳』の記載に見える。また、近くの真言宗金蔵寺と八耳堂(太子堂)も大河原氏が厚く信仰
していたと伝える。末社の摩利支天社は負けず嫌いの神といわれ、現在でも勝負事や商売繁盛の願を掛けるものはブリキの剣
を奉納するのを習わしとしている。「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より
http://akatoge.jp/hannougundarijinjya.html より。

軍荼利明神・摩利支天信仰・・・武士の信仰ですね。

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今回は背後に控える竜崖山へは登りませんでしたが、この杖を作られた方がおられて、山頂からの日出など美しい写真を
見せていただきました。「竜崖山を愛する80人衆」の作られた看板などがあちこちにあるようですが、そのお一人だったの
かもしれませんね。

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神社の手前にある「八耳堂」

この八耳堂は、真言宗の寺、金輛山無量院金蔵寺の仏堂で、太子堂とも呼ばれています。本尊は、聖徳太子(厩戸皇子)を
まつり、保元年間(1156~1158)に建立されたといわれていますが、現在の建物は、文政3年5月再建したもの。

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聖徳太子なのでしょうね。

太子信仰
太子自身を信仰対象として、聖徳太子像を祀った太子堂が各地の寺院にある。聖徳太子は観音菩薩の化身として尊ばれた。

豊聡耳(とよとみみ、とよさとみみ)
ある時、厩戸皇子が人々の請願を聞く機会があった。我先にと口を開いた請願者の数は10人にも上ったが、皇子は全ての人が
発した言葉を漏らさず一度で理解し、的確な答えを返したという。この故事に因み、これ以降皇子は豊聡耳とも呼ばれるように
なった。
『上宮聖徳法王帝説』、『聖徳太子伝暦』では8人であり、それゆえ厩戸豊聰八耳皇子と呼ばれるとしている。 『日本書紀』と
『日本現報善悪霊異記』では10人である。また『聖徳太子伝暦』には11歳の時に子供36人の話を同時に聞き取れたと記されて
いる。一方、「豊かな耳を持つ」=「人の話を聞き分けて理解することに優れている」=「頭がよい」という意味で豊聡耳と
いう名が付けられてから上記の逸話が後付けされたとする説もある。by wikipedia


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