先日録画しておいたドラマ「スナーク狩り・宮部 みゆき」を見ました。ダライラマの真理の言葉の後に、
・・・・・・・・・・・・・・考えさせられたドラマでした。おそらく、人間の最大の課題であり、多角的に見ても、
たくさんの意見、感想、思いが蠢くことでしょう。答えは、それぞれの人(魂)の道程によって異なり、
導き出すことは不可能なのでしょう。人類最大の難題です。この最大の難題を、よくぞ小説にしたもの
だと感動します。ドラマも、各々の人々(魂々)に鳴り響いたのではないでしょうか。
恋人にどん底に突き落とされて裏切られた女性の復讐と、娘をレイプされて妻と共に殺された父親の
復讐。人は時として「暗闇の世界」へ誘われ、「怪物」になる。
ドラマを見ていると、「暗闇の世界」へ誘われる過程が、誰にでも起き得ると思わせ、誰もが「怪物」
になると感じさせる。
スピリチュアリズムに照らせば、「暗闇の世界」への誘いは、「悪魔のささやき」であり、悪霊の憑依
とも解釈できる。その憑依と、人に備わっている「良心」(守護霊・高みの霊界からの働きかけ)との
戦い・・・。ドラマは、怪物と良心の戦いをとてもうまく描いていました。
先のダライラマの投稿の中に、
「敵と呼ばれている人たちは、間違った考え方にとらわれて悪い行いをしているだけ」との言葉があり
ます。 「罪を憎んで人を憎まず」という諺もあります。
これらの言葉に、うなずきはするけれど、自分自身が、このドラマの当事者(復讐者)になったとき、
果たして、これらの言葉が力を発揮するのだろうか・・・。
人の事は、とやかく言えます。しかし、本当に自分自身に降り掛かからなければどのような精神状態
になるかは解りません。
このドラマは、二元性(自分と他人)を一元(ワンネス)に近づけようと誘う要素が多分に含まれていたと
思います。魂の成長は、「人の立場になる」「人に手を差し伸べる」、そこから自分と他人との境を限りな
く無くしていくという事であり、最終的にはひとつになることです。自分自身の個の枠組みを、どんどん広
げていくということです。
それにしても、作者は、この天使と悪魔を描くことで、その中に入り込んでいくわけであり、どのような
精神状態へと突入していくのだろうか。役者は、その役作りに徹すればよいが、作者は、指揮者でもあり、
役作りにも入り込む(豆ちゃんの良いお言葉^^)。作者にも霊界(根源・宇宙)からの働きかけがあって、
表現者の手助けをしていると思えてなりません。