2017.6.9~11 静岡・愛知方面へ出かけました。
あちこち神社にも寄ってきましたよ。続きまして・・・一宮市の真清田神社へ。
わはははは(笑
境内の裏側の小さな駐車場に止めて歩きだしたら、この子たちが出迎えてくれましたよ^^
クルマで神社隣接を通った際に、何か不思議な感覚がしたので、まずは、神社の外側を歩いてみました。
真清田神社境内の東側隣接部分です。食べ物屋さん、飲み屋さんが並んでいます。
シャッターの降りているお店が多いですが、反物屋さんや生地屋さんが開いていましたよ。
真清田神社のhpによると、「境内は一宮市の中心、本通りの正面目抜きにあり、一宮市が、神社を中心として発達した町で
あることが分かります。 周囲には古来、土塀をめぐらしていました。その辺りを馬道具の飾立場とすると共に出店を設け、
門前市も盛大に開かれていました。」との事で、 活気は失せてしまっていましたが、昭和の頃には賑わっていたような
絵図らが浮かんできましたよ。何故、反物屋さんや生地屋さん??その答えは後程^^
社号標と正面鳥居
いや~大きいです。立派です。
正面鳥居と楼門
立派な楼門です。
楼門 昭和36年11月竣工。楼上南側に掲げる扁額は、伝聖武天皇ご宸筆の旧額を模して人間国宝平櫛田中氏が彫刻を施した。
楼門手前より拝殿
楼門内には、コスプレの若者がたくさん居ました。なんか不思議^^
なぜ、コスプレの若者が多いのか??こちらをご覧ください。
http://nyarosuke-information.com/ichinomiyatanabata-cosplay/
手水舎
昭和20年7月28日の空襲において焼失を免れた。吐水龍は、寛永8年(1631)初代尾張藩主徳川義直公奉納によるもの
(現在はレプリカ)。他には・・・まあ、いろいろと置かれていました。覗きこんだり、撫でたり・・・(笑
社務所
拝殿 奥の本殿は凄そうですね。
本殿・・・近くまで行けず・・・ほとんど拝めませんでした。
拝殿 正面
拝殿内 素晴らしいですね^^
楼門 境内側から
境内には服織(はたおり)神社がありました。
服織神社
御祭神:萬幡豊秋津師比賣命(よろずはた とよ あきつし ひめのみこと)を奉祀する。
一宮七夕まつりにミス七夕・ミス織物が参列し御衣奉献祭が斎行される。
・真清田神社の主祭神「天火明命」の母神である「萬幡豊秋津師比賣命」をお祀りする。機織の神様。
・尾張地方は、昔から稲作(尾張米)と繊維業が盛んだが、それだけに天火明命と萬幡豊秋津師比賣命の母子神は
地域の人々から篤い信仰を集めている。
・萬幡豊秋津師比賣命は別名を「棚機姫神(たなばたひめのかみ)」と呼ばれ、七夕伝説の「織姫」と同一と
考えられている。そのため“縁結びの神様”としても信仰を集めるようになった。
そんなわけで、コスプレの若者が多かったわけですね^^
「社務所で、縁結びのお守りを分けていただくと、”運命之紅糸”が入っています。一本は、服織神社に結びんで祈願を…。
もう一本は、ご自身でお持ち下さい。」との事ですよ^^
神池
当神社の宝物「真清田神社参詣曼茶羅」(安土桃山~江戸初期)にも描かれています。
さざれ石 なかなか見どころ満載の面白い神社でした。一宮という格式??にこだわらず、地域や時代に馴染んでいるところがスゴイですね。繊維業~服織神社のおかげでミス七夕・ミス織物、更には「布=コスチューム」の街へと進化すべく、
地域活性化を図るために「コスチュームタウン構想事業」を一宮市は展開しています。「コスプレパレード」は2017年 6年目。 神社を飛び越えた神社です^^
真清田神社(ますみだじんじゃ、眞清田神社)
・愛知県一宮市真清田にある神社。式内社(名神大社)、尾張国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
・愛知県北西部、一宮市の中心部に鎮座する。創建は詳らかでないが、古代に尾張地方を治めた尾張氏の奉斎に始まるとされ、
尾張氏祖神の天火明命を祭神とする。
・中世には尾張国の一宮に位置づけられ、一帯の地名「一宮」はこの真清田神社の社格に由来する。現在でも一宮市の市章は
真清田神社の神宝がモチーフとされるように、古くから一宮地域の発展に関わってきた古社である。
・祭神について
現在、真清田神社の祭神は上記の通り天火明命とされるが、かつては国常立尊祭神説や大己貴命祭神説など複数説が存在
した。これらのうち国常立尊祭神説は、『真清田神社縁起(古縁起)』(室町時代末期頃成立)に記される説で、最も古い
時代に遡る。しかし近年では、同書が続けて真清田神社を日本中の一宮と主張していることから、伊勢神宮と比肩するため
に天照大神より古い国常立尊が持ちだされたものと考えられている。一方、大己貴命祭神説は『大日本国一宮記』に見える
説で、出現は室町時代末期から江戸時代初期頃に遡り、諸文献に散見される。
これらに対して天火明命祭神説は、江戸時代に吉見幸和や栗田寛により唱えられたものである。天火明命は、『日本書紀』
『古事記』の神話では天照大神の孫神(天忍穂耳命の子神)とされ、『先代旧事本紀』では饒速日命と同一視される神で
ある。そしてこの天火明命に比定する説において、社名の「マスミ」が真清鏡(ますみのかがみ)のように鏡に関係する
語であるとして、鏡作氏や尾張氏の祖神の天火明命が祭神だと想定された。しかしながら、尾張氏は尾張地方に広く勢力を
持った氏族ではあるが、真清田神社との関係を示す文献・伝承は知られていない。
歴史的には、中世末期から江戸時代までは国常立尊祭神説が主流で、明治の時点での祭神は国常立尊のほか天照大御神・
月夜見神・大己貴神・大竜王神の5柱となっていた。しかし『特選神名牒』において「天照大御神」が
「天火明命(天照国照彦天火明尊)」の誤記と見なされ、かつ他の4柱が省略され天火明命1柱とされた関係で、以後は
現在まで天火明命1柱説が採用されている。なお、『真清田神社史』では国常立尊祭神説を荒唐無稽としながらも、天火明命と
大己貴命については、それぞれ尾張氏の祖先神と奉斎神(土地神)であった可能性を指摘する。
・国史での初見は承和14年(847年)で、「真清田天神」の神階が無位から従五位下に昇叙されたとある。その後、仁寿元年(851年)
に「真清田神」は官社に列し、またその神階が仁寿3年(853年)に従四位下、貞観7年(865年)に正四位上に昇叙されている。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では尾張国中島郡に「真墨田神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。また
『尾張国内神名帳』(尾張国内神名牒)では、「正一位 真清田明神」と記載されている。
永万元年(1165年)の「神祇官諸社年貢注文」に「尾張国一宮 八丈五疋」とあるのを初見として、平安時代末期以降に真清田神社は
尾張国で一宮の地位にあったとされ、これは現在の一宮市の市名の由来にもなっている。一宮に次ぐ尾張国二宮は大縣神社(犬山市宮山)、
三宮は熱田神宮(名古屋市熱田区)とされるが、神階・格式の点では熱田神宮の方が尾張国で最高位にあり矛盾する。この点については
古来諸説が挙げられているが、今日では尾張国府との距離関係の反映とする説や、東海道における京からの位置関係の反映とする説が
一般視されている。
明治維新後、明治18年(1885年)に近代社格制度において国幣小社に列した。かつて「真清田大名神」「真清田大明神」
「一宮真清田大神」「一宮大明神」と称された社名も、明治に現在の「真清田神社」に統一された。by wikipedia