2017.2
東京都清瀬市の日枝神社・水天宮・御嶽神社へ参ってきました。
ここは道路沿いに左側から日枝神社・水天宮・御嶽神社が並んでいました。
山王鳥居
立派な神社です。
山王鳥居の特徴は明神鳥居の上部に三角形の破風(屋根)が乗った形をしていて、仏教の胎臓界・金剛界と神道の合一を
表しているとされます。山王信仰の象徴であるため、山王鳥居と呼ばれています。 山王信仰とは、最澄が比叡山に天台宗を
開いた折、唐の天台山の守護神「山王元弼真君(さんのうげんひつしんくん)」にちなみ、既に比叡山の守護神としてご鎮座
されていた日吉大神を「山王権現」と称する、神仏習合の信仰です。 独特の鳥居である事から、分霊社の中にはこの鳥居を
模して建立する例も少なくありません。 (例)東京赤坂鎮座 日枝神社など http://hiyoshitaisha.jp/faq/a07/ より
拝殿と御神木
御神木・・・すごい存在感です。西陽を浴びて輝いていました。
武蔵野では、スギの大木は丘陵か山地に生育していますが、この木は台地に根を張った、珍しい大杉です。
推定樹齢400年、樹高は21mを測ります。昭和54年4月6日天然記念物指定 清瀬市hpより。
拝殿
御祭神:大山咋神 大己貴神
当神社は天正7年(1579)中島筑後守信尚が社殿を造営して鎮祭せりとあるも、境内に柊(ヒイラギ)の老樹あり、
景行天皇の御代に日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の際、柊の根本に憩い「清キ土ナリ」とのたまいけるとて、
爾来この村を清土(きよど)と称したるも何時の頃よりか、清戸と改められたとあり、故に当時の柊は枯れその根株より
蘖(ひこばえ)を生じ今日に至る云々とあり、依って日本武尊が祭祀せられたといい伝えられている。
http://hiejinja.jp/modules/shoukai/ より
日枝神社 三猿の石燈籠
一基は寛文4年(1664年)横山太良兵衛ほか下清戸村11名により寄進されました。刻まれた銘文によると、天正7年
(1579年)中嶋筑後守信尚が開いたとあり、清戸の開発を知る大きな手掛りとなっています。燈籠には山王権現のお使いで
ある猿が、見ザル、聞かザル、言わザルの姿に彫り出されています。もう一基は宝永7年(1710年)に建てられました。
清瀬市hpより。
石灯篭の下部にお猿さんが掘られています。西陽を浴びて^^
参道脇には沢山の大きな燈籠が・・。
お隣の「水天宮」
御祭神: 安徳天皇 底筒男神 表筒男神 中筒男神
安徳天皇を祭神とする本社の水天宮は、福岡県久留米市瀬下町に鎮座まします御本社より、御分霊を勧請した社でありますが
年代は詳ならず、安産守護・水難除・寿命長久の霊験高きを以って知られております。
http://hiejinja.jp/modules/shoukai/ より。
更にお隣の「御嶽神社」
日枝神社・水天宮・御嶽神社の境内
御嶽神社 階段上の祠
「富士山太々講記念碑」という石碑があります。
こんもりした小山・・・この塚は文化3(1806)年に御嶽講の人々が築山した御嶽塚のようですが、富士講の方々も一緒に
参拝されていたのかなあ。。。