2015.8
3社で一体の氷川神社を形成している残りの一社の「中山神社」に行ってきました。
氷川女体神社とはまた全然違った空間でしたよ。
御火塚
社伝では、鎮火祭(後述)の火により「中氷川」の氷が溶け、「中川」の地名になったとされる。
鎮火祭 (12月8日)
炭火の上を素足で渡って無病息災と火除を祈願する。かつては、薪を平年は12段、閏年は13段積み上げて夜通し焚き、炭を神前に
供えていたという。古くから伝わる伝統の神事だが、鎮火祭を行ってきた講の跡継ぎがいなくなったことや、薪にするアカマツの入手が
周辺で困難になったことなどから、1981年を最後に中断していた。2007年より再開。by wikipedia
拝殿
崇神天皇2年(紀元前95年)創建と伝えられ、氷川女体神社と同年代の創建となる。
別称として中氷川神社とも呼ばれる。氷川神社(大宮区)・氷川女体神社(緑区)とともに一体の氷川神社を形成していたという説がある。
「中氷川」の由来は、氷川神社と氷川女体神社の中間に位置することから付けられたという。
by wikipedia
本殿
さらに本殿の裏の旧本殿
二間社流造杮葺、安土桃山時代。見世棚造から流造に発展していく過渡期の建造物と考えられている。by wikipedia
桃山様式をもつ市内最古の建造物。
実際には、暗くてよく見えませんでしたが、やはり相当に古い建造物ですね。