1/28、以前、ブログお仲間のきゃおきゃおさんのブログに紹介されていた「竜宮美術旅館」に行って
きました。外見だけでもと思っていたら、丁度、多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科卒業制作展
をやっていたので、中に入ることもできました^^
台所? なかなかいい感じですねー。
「御手洗」の楕円陶器表示板がレトロです。
その脇の洗面所 金魚〜〜〜
う〜む・・・中華っぽいですね^^
竜宮でございます^^
狭い廊下です。
お風呂ですよ。
二回に上がります。天井の明かり取りがいいですね。
多摩美大のアート展示もあったわけなのだけど、建物の方に興味の引力が働いちゃって・・・。出るときに受付
の女の子から、「奥の写真、私が撮ったんですよ、どうでしたか?」と尋ねられたんだけど、ほとんど印象に残って
なくて・・・・。すんません・・・^^;;
で、いったいこの建物は・・・?と思いあちこちネットでググってみると、いろいろ解ってきました。
・戦後まもなく(昭和20年代前半?)建てられた連れ込み旅館もしくは娼館。
一階は家族の部屋、二階はお姐さんたちの部屋として使われていたように見受けられる。
・心なしか中華風の味のある意匠。
・内部の造りは遊郭そっくり。たぶん遊郭として営業していた時期もあり。
・戦後70年間、麻薬街や赤線街として悪名をとどろかせた町の、名残が感じられる。
・この建物は使用期限が2012.3までとなっており、その後取り壊しが決まっている。
・5年前まで中国人(チョゴリを来た婦人のカレンダーが掛かっていたので、韓国人の間違い
ではないかと思うのだが……)の一家が住んでいたのを最後に、空き家になっていたという。
・この建物は使用期限が2012.3までとなっており、その後取り壊しが決まっている。
●黄金町の歴史
1930年に湘南電気鉄道(現在の京浜急行電鉄)の黄金町駅が開業。黄金町駅付近一帯は
1945年の横浜大空襲で壊滅し、戦後は ヒロポンや麻薬の密売所と非合法の特殊飲食店街
(いわゆる青線地帯)に様変わりした。特に昭和20年代は、京急線の高架と平行する大岡川
を境界に密売組織による縄張り争いが頻発した。警察官の巡回すら身の危険を感じて出来ない
程荒んだ環境であったという。
「ちょんの間」と呼ばれる黄金町の特殊飲食店街は1958年の売春防止法施行後も相当な規模
で存在し続けた。2000年頃までは京急線の高架下とその周辺で、高架下から排除された後も
高架の周辺でおよそ250店の規模で賑わっていた。娼婦が店頭で客を引き、客は1万円程度の
対価を払い、三畳ほどの狭い部屋で売春行為を行った。昭和20〜40年代は日本人娼婦が跋扈
したが、昭和50年代に入ると台湾人女性の姿を目にするようになり、つづいてタイ人女性が
増えていった。その後娼婦の多国籍化が進み、川崎市堀之内の「ちょんの間」街や相模原市
上鶴間本町の「たんぼ」同様、中国や東南アジア、中米出身の女性が主体となり、日本人女
性は少数派となった。
関東一の規模で人気を誇った黄金町のちょんの間であったが、2009年の「横浜開港150周年」
に向けて街のイメージアップを図るため、2005年1月11日より、「バイバイ作戦」と名づけら
れた警察による集中的な摘発がはじまった。この結果同年8月までに全店が閉店した。飲食店
家屋の取り壊しや新築マンションの建設工事が相次ぐ一方、2007年中頃から、ちょんの間を
改装の上店舗として利用した、若者向けのバーやカフェ等通常の業態の飲食店が開店し始めて
いる。 by wiki アートによる街づくり進行中です^^