「・15のライフレッスンbyキューブラーロス」カテゴリーからの投稿です。
残り時間がないという事に心の底から気づいたとき、人生の意味に関する何かが変わり
ます。死の淵から脱して寛解期に入った患者が、「残り時間がないと思っていた時の方
が幸福だった」などと言う事は珍しくありません。死ぬまでの日数をあと何日と数える
ようになったとき、私たちは自分の幸福について真剣に考え、幸福を感じるようになり
ます。
たいがいの人は幸福というものを、ある出来事に対する反応として考えていますが、実
際の幸福とは心の状態のことであり、周囲で起こることとはほとんど関係がありません。
宝くじに当ったときの幸福、魅力的な身体になったときの幸福などは長続きせず、それ
は一時的な高揚感で、その時期が過ぎると、たちまち元の幸福あるいは不幸な状態に戻っ
てしまいます。
幸福は人間の自然な状態なのですが、私たちは不幸な状態に安住するように訓練されて
います。奇妙な事ですが、私たちは幸福に慣れていないのです。せっかく幸福な状態に
あるのに、それを不自然だと感じ、自分はそれに値しないなどと思ってしまう。だから
こそ、私たちは誰かについて、何かの状況について、つい最悪の事を考えてしまいます。
また、だからこそ、幸福な状態をいいことだと感じる訓練や幸福になるための訓練が必
要になるのです。
その訓練の一つは、幸福の探求が人生の目的に不可欠であるという信念を受け入れる事
にあります。多くの人がその信念に反発を感じ、それは自己中心的であり、思いやりの
ない態度だなどと言います。人生の目的が幸福になることだという考えに、人はなぜ抵
抗をおぼえるのでしょうか?
私たちは幸福である事にやましさを感じ、恵まれない人が沢山いるのに自分だけ幸福を
求めることはできないと考えます。臆面もなく「なぜ幸福になる必要があるんだ?」な
どと言う人もいます。
その答えは「あなたは神の尊い子どもだから」という事になります。あなたはこの世の
あらゆる驚異を享受するために生まれてきたのです。そして、あなたが幸福であれば、
苦しんでいる人たちにより多くのものを与える事ができるのです。充足していれば、欲
求や欠如から生まれる行動はしなくなります。与える余裕ができ、自分の時間を、自分
自身を、自分のお金を、自分の幸福を、誰かと分かちあえるようになります。
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朝起きると同時に生まれ、眠りにつく時に死んでいく。毎日毎日が一つの命の欠片の連続
だと思えば、今を真剣に生きられるようになるかもしれません。瞬間瞬間の喜びや感動に
シッカリと浸れるようになるかもしれません。
吉田拓郎が唄っていましたね。「祭りのあと」・・・
祭りのあとの淋しさが
いやでもやってくるのなら
祭りのあとの淋しさは
たとえば女でまぎらわし
もう帰ろう、もう帰ってしまおう
寝静まった街を抜けて
一時的な高揚感はホントに長続きしません。躁鬱のように反動がやってきたりします。
ホントに幸福とは心の状態なのですね^^
「幸福否定の構造」(笠原敏雄著)」という本があります。この本は、自分にとっては喜び
となるはずの対象や出来事をあえて避けるような行動を取る人がかなりの数に昇るわ
けですが、それはなぜなのであろうか?という切り口から「うれしいこと」の否定が心身
症・精神病の原因となる…30年に及ぶ豊富な臨床経験から、人間の心の奥底に秘め
られた仕組みを理論的に明らかにしようとしています。
私的には、例えば、スケジュール帳の予定が詰まっているとき(檻の中にいる感覚?)に
は忙しくても精神的には安心できるけれど、予定は空白だと(本来は自由気ままなはず)、
不安や焦燥感が襲ってくるような心の状態も、幸福否定の一つではないかと思いますね。
まずは、「幸福の探求が人生の目的に不可欠であるという信念を受け入れる事」その
訓練を行うことかもしれませんね。
ウルグアイのムヒカ大統領もリオ会議で次のように述べています。
「幸福は、私たちのもっとも大切なもの。「環境」のために戦うのであれば、人類の幸福こそ
が環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。」