「・15のライフレッスンbyキューブラーロス」カテゴリーからの投稿です。
怒りという第一ステップに留まっていてはいけません。私たちは第二ステップにま
で踏み込むことを学ばなければなりません。すなわち、自己の内面を見つめて、怒
りの背後にある恐れを探り出すステップです。具体例を見てみましょう。
・怒り・・・あなたが来なかったから起こっている。
・背後の恐れ・・・あなたに捨てられるのが怖い。
・怒り・・・君が遅刻したから起こっている。
・背後の恐れ・・・君に軽視されるのが怖い。
・怒り・・・おまえがいい仕事をしなかったから怒っている。
・背後の恐れ・・・事業収益が減って給料も払えなくなることが怖い。
・怒り・・・あなたがあんな事を言ったから怒っている。
・背後の恐れ・・・あなたが愛してくれなくなるのが怖い。
自分の恐れに直面するよりは怒り続けている方が容易なものですが、それではいつ
まで経っても背後にある問題を解決することができません。むしろ「当面の」の問
題を悪化されるのが関の山です。なぜなら、相手は怒りにはうまく応答してくれな
いからです。
たとえ根拠のある恐れを抱いている場合でも、度が過ぎた怒りはその根拠を失わせ
てしまう。例えば、遅刻ばかりする部下に文句を言い続けても状況は変わりません。
しかし、「やる仕事は沢山あるのに、それができなくなるんじゃないかと思うと怖
いんだ」と言えば、部下はあなたの怒りに傷つけられることなく、あなたの恐れに
応答してくれるでしょう。
怒りが悪いもの、間違ったものだとされている社会に住んでいる我々は、それを健
全な形で表出する方法を知りません。ただ拒絶し、蓋をし、溜め込んでいるだけで
す。ほとんどの人が怒りを内部に溜め込み、最後には爆発させてしまいます。小さ
な怒りを感じたとき、その都度口に出して「私は怒っている」という術を身につけ
ていないからです。今日怒りを感じたら、その場で「怒っている」と口に出し、明
日別のことで怒りを感じたら、またその場で怒っていると言えばいいのです。
死を間近にしたとき、人は溜め込んできた過去の怒りを一挙に爆発させることがあ
ります。もし病院に、気が済むまでそこで怒りを吐き出すことができる、専用の部
屋があったらどんなにいいでしょう。誰かに怒りをぶつければ、事態はますます悪
化していきます。怒っている人のそばにいて気分がよくなる人は誰もいないのです
から。怒っている人は、実は孤独な人なのです。
私たちは癒えるために、いろいろな感情を経験し、それに熟達するために地上に生
まれてきました。乳児や幼児はいろいろな感情を経験し、慣れていきます。泣いて
は悲しみの感情をやりすごし、怒っては怒りの感情をやり過ごします。その正直さ
において、死の床にある人たちはしばしば乳幼児だった頃のその人に似ています。
彼らはストレートに「怖い」「いやだ」と口にすることを思い出します。私たちも
彼らのように正直に自分の怒りを表現することを学ばなければなりません。怒りを
溜め込まず、やり過ごす生き方を身につけなければなりません。それは可能です。
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先の「恐れ」のレッスンでは、ほとんどの危惧や懸念は死への恐れに帰結すると学び
ました。そして「怒り」の背後には、その「恐れ」が隠されている。 上記の例を見ても、
突き詰めると、孤独に陥る不安、生活ができなくなる不安→生きていけなくなる→死
への恐れとなりそうです。
社会に対する怒りもまた、生活不安、貧富格差拡大によるものが多く、死への恐れに
帰結すると言えます。
という事は、死への恐れを克服することによって、爆発的な「怒り」の感情は抑えられ、
また怒っても、怒っているという思いを相手に伝える事が容易になるのかもしれません。
ともあれ、自分自身の感情とシッカリ向き合い、怒りにフタをせずに、放出させながら、
怒りを溜め込まない術を身に付けたいものですね。高ぶる感情を穏やかな感情へと
代えることができるのならば、きっと、この「心」の乗り物である「体」の維持にも良いこ
とでしょう。
次回からは「遊び」のレッスンです。こちらも目からウロコですよ〜(笑