2018.9 千葉方面の神社を詣でました。 ラストは橘樹(たちばな)神社。上総国二宮です。
橘紋
拝殿には「橘木神社」と。
立派な本殿でした。
本殿には「橘神社」と。
ここから奥は「弟橘比売命御陵」
吾妻池
誰も参拝に訪れる方は居ませんでしたが、空気・空間の静かな溶け込んでしまいそうな場でした。
橘樹神社
・千葉県茂原市本納にある神社。式内社、上総国二宮で、旧社格は県社。
・神紋は「橘」。
・古くは「橘神社」・「橘木神社」とも記された。現在は「橘樹」の2字で「たちばな」と読む。
・主祭神:弟橘比売命 (おとたちばなひめのみこと)
・相殿神:日本武尊 (やまとたけるのみこと) - 弟橘比売命の夫。 忍山宿禰 (おしやまのすくね) - 弟橘比売命の父。
社伝では、日本武尊が東征した際、相模から上総へ渡ろうとした時に海上で暴風に遭った。弟橘媛が海に身を投じて
日本武尊の難を救ったことから、日本武尊が弟橘媛の御陵を作り、弟橘媛の櫛を納めて、橘の木を植えて祀ったのに始まると
伝える。
国史の初見は、『日本三代実録』元慶元年(877年)5月17日条、従五位勲五等の橘樹神に正五位下の神階を授けるという
記述である。元慶8年(884年)7月15日、正五位上の神階が授けられ、日本武尊・忍山宿禰が合祀された。『延喜式』
神名帳には上総国長柄郡に「橘神社」と記載され、式内社に列している。
本殿は、江戸時代の寛政12年(1800年)の造営。本殿の背後には、弟橘比売命御陵とされる古墳が残る。本殿が造営される
まで、拝殿から直接古墳を拝む形となっていたという。また、境内の吾妻池はこの墳墓を掘った跡の穴であると伝えられる。
by wikipedia
こちらは神奈川県横須賀市走水にある走水神社の弟橘媛(オトタチバナヒメ)のレリーフ
上総国へ船出した日本武尊は、海上で暴風雨に遭い、弟橘媛が海へ身を投じて暴風雨を鎮
めた。数日後、海岸に弟橘媛の櫛が流れつき、村人は旗山崎(御所ヶ崎)に社を建てて櫛
を納めた。この社が弟橘媛を祀る橘神社であったが、明治18年(1885年)に旗山崎が軍用
地になり走水神社境内へ移され、明治42年(1909年)に合祀された。走水神社by wikipedia
「橘樹神社」でググると、川崎市高津区の橘樹神社が上位にヒットします。この神社も、、日本武尊と
弟橘媛の男女2躯の神体を祀り、かつては立花社ともいわれていたようです。また近くの子母口富士見台の
高台にある「富士見台古墳」は、一説には弟橘媛の「御陵」であるとも伝えられているが、史料がなく
具体的なことは分かっていないとの事。川崎・橘樹神社by wikipedia