2017.6.9~11 静岡・愛知方面へ出かけました。
あちこち神社にも寄ってきましたよ。続きまして・・・あの有名な名古屋の熱田神宮^^
広いです。大きいです。イメージとしては明治神宮を少し小さくした感じでしょうか。
帰ったら、ちょうど、ブラタモリで名古屋城、熱田神宮をやっていましたね。良い勉強になりました。
南門(正門)
南門(正門) 立派な鳥居です。
明治神宮、伊勢神宮に似た参道ですね。
手水舎脇の鳥居
おお!巨木が!
大楠
立派な御神木です。樹齢は約千年。
弘法大師のお手植えと伝えられ、境内には楠が多く、特に巨大なものがあったので、俗に七本楠と言われております。
三つ目の本宮へと誘う鳥居
授与所
本宮前 とても広々としています。
本宮拝殿
熱田の杜(もり)奥深く鎮まります本宮は、明治26年までは尾張造りの社殿でしたが、三種の神器奉斎の社であることから
伊勢の神宮とほぼ同様の社殿配置・規模の神明造りに改造されました。昭和20年3月・5月と、2回の戦災を受けましたが、
昭和30年10月に造替されました。
本宮の拝所は外玉垣御門(とのたまがきごもん)の前で、この御門と四尋殿(よじんでん)を併せ拝殿と称し、東西翼廊を
付設しております。hpより。
拝殿より御垣内を拝すると、一番奥に最も高く千木(ちぎ)・勝男木(かつおぎ)の見える社殿が「本殿」で、熱田大神は
ここに鎮まります。
拝殿から順に「外玉垣」「内玉垣」「瑞垣(みずがき)」の垣があり、垣の各南正面には御門があります。内玉垣と外玉垣
との間の広場を「中重(なかのえ)」といい、正面中程に立っている鳥居を中重の鳥居といいます。例祭をはじめ祭典の多く
はこの中重にて斎行されます。
社殿は、再建以来50余年を経て、大屋根の葺替えをはじめ授与所・神楽殿の修造時期を迎えたことから、平成19年10月
22日「仮殿遷座祭」を齋行。約2年の歳月をかけて事業は竣功し、平成21年10月10日に「本殿遷座祭」、翌11日に
「臨時奉幣祭」を晴れて斎行。4年後の平成25年、創祀千九百年の慶節を真新しい社殿でお迎えする準備が整いました。hpより
確かに伊勢神宮と同じような空気・空間でしたね。
さて、ここから更に奥へと向かいます。
本宮西側に沿って北方向へ こちらに来られる方は少ないですね。
本宮 西側より
一之御前(いちのみさき)神社
熱田神宮 北側の再奥に静かに鎮座しておりました。
本宮の北側(裏側)からも鳥居がありお参りすることができました。
本宮の北側から東側へ
清水社
本殿の東、御田神社の北に鎮座。御祭神は水をつかさどる神様である罔象女神(みずはのめのかみ)をお祀りしております。
社殿の奥に水が湧いていることから、俗に「お清水(しみず)さま」と呼ばれ、その水で眼を洗えば眼がよくなり、肌を
洗えば肌がきれいになるという信仰があります。hpより。
こちらも立派な巨樹ですね。
土用殿(どようでん)
神楽殿の北に位置し、もと、草薙神剣を奉安した御殿で、旧本殿の東に相並んで鎮座していました。様式は宝庫造、
俗に井楼組(せいろうぐみ)と呼ばれる造りで、屋根切妻桧皮葺の箱棟でした。
永正14年(1517)将軍足利義稙(よしたね)の造営と伝え、天文11年(1542)修造されており、昭和46年に屋根を
銅板葺にして復元されました。hpより
神楽殿脇
この石は???関係者の方に聞いてみましたが・・・特に意味はないと・・・???(笑
神楽殿脇 立派ですねー。
神楽殿・正面
佐久間燈籠
正参道と東参道の交差するところに、石の大燈籠があります。
寛永7年(1630)5月、佐久間大膳亮勝之は海難にあい、当神宮に祈りその加護によってことなきをえたのを感謝して寄進されたと言われております。高さは約8メートル、形も六角形で雄大な相をもち、江戸時代から日本三大燈籠の一つとして知られております。hpより
いや~、流石に立派な神社でした。朝早くの参拝は正解でした。10時過ぎには沢山の人達が参拝に来られていましたよ。
ブラタモリで勉強させてもらいましたが、当時は熱田台地の先端に位置していてようですね。熱田神宮の直ぐ近くには、
愛知県最大規模の断夫山古墳(大型前方後円墳・6世紀前半(古墳時代後期)の築造と推定)があります。当時尾張地方に
大きな勢力を持った尾張氏の首長墓に比定されるようです。熱田神宮では、古くから「陀武夫御墓」と称して日本武尊妃の
宮簀媛命(みやずひめのみこと)の墓としています。大昔から栄えていた地域であることが良く判ります。そこに家康が
名古屋城を築き計画的に発展させた・・・スゴイですね^^
熱田神宮
・愛知県名古屋市熱田区にある神社。式内社(名神大社)、尾張国三宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
宮中の四方拝で遥拝される一社。神紋は「五七桐竹紋」
・名古屋市南部の熱田台地の南端に鎮座する。古くは伊勢湾に突出した岬上に位置していたが、周辺の干拓が進んだ現在は
その面影は見られない。
・三種の神器の1つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)を祀る神社として知られる。なおこの剣は、鎮座の後も、盗難に
遭ったり、形代が壇ノ浦の戦いで遺失するなどの受難にみまわれている。
・景行天皇43年創建と伝えられており、同年は西暦に換算した場合に113年とされることから、2013年(平成25年)に
創祀1900年を迎えるとされ、同年5月8日に「創祀千九百年大祭」が行われた。
・建物は伊勢神宮と同じ神明造であるが、1893年(明治26年)までは尾張造と呼ばれる独特の建築様式だった。
・祭神:主祭神~熱田大神
熱田大神とは草薙剣の神霊のこととされるが、明治以降の熱田神宮や明治政府の見解では、熱田大神は草薙剣を御霊代・
御神体としてよらせられる天照大神のことであるとしている。しかし、創建の経緯などからすると日本武尊と非常に
かかわりの深い神社であり、熱田大神は日本武尊のことであるとする説も根強い。
・創建
第12代景行天皇の時代、日本武尊が東国平定の帰路に尾張へ滞在した際に、尾張国造乎止与命(おとよのみこと)の娘・
宮簀媛命と結婚し、草薙剣を妃の手元へ留め置いた。日本武尊が伊勢国能褒野(のぼの)で亡くなると、宮簀媛命は熱田に
社地を定め、剣を奉斎鎮守したのが始まりと言われる。そのため、三種の神器のうち草薙剣は熱田に置かれているとされ、
伊勢神宮に次いで権威ある神社として栄えることとなった。by wikipedia